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6.追記
 
 渡邊さんから蒲原に関するいろいろな史料を頂き、蒲原のことについて教えて頂きました。
 
 今回の『歴史から忘れられた蒲原御殿とは』と、直接関係はありませんが、追記として記載させて頂きます。
1.蒲原と安政大地震について
 
 木屋江戸資料館には、安政大地震の記録が残っております。蒲原の宿は、三居沢より西側は大半が火事で焼けてしまったそうです。
 資料によりますと、どこまで火事が広がったかとかどこで誰が亡くなったなどがわかります。
 
木屋江戸日記には次のように記載されております。
 田畑からは水や土砂が吹き出して湖水のようになり、宿の建物は当家の三階庫を残して皆潰れてしまいました。三居澤のあたりから上がった火の手はまたたく間に西に広がりました。火事は柵でやっと消されたものの、その後も1日に数十度の地震があり、人々は寒さと恐怖で震えていました。雉子(きじ)が鳴くと地震が起き、地鳴りが雷のように鳴り続け、音が止むと大風が吹くといった具合に大地の変動の様子が記されています。地震は11月12月頃になって漸く静まりましたが、箱根から袋井あたりまで被害を受け、特に甲府、伊豆下田は大きな被害を受けたようです。
2.蒲原古代塗のルーツ
 
 平成7年に古代塗りのルーツを調べたところ、古代塗りは渡邊利左衛門が彫師としての卓越した才能を認めて蒲原の地に呼び寄せた「彫師栄助」の手により作り出されたと言う事がわかりました。
 金璙(かねよし)・守亮(もりあき)の日記から明らかになった栄助の人物像は、以下の通りです。
 
・・・・省略・・・・
 
3.蒲原の東山??
 
 清水歴史散策の他の箇所で、蒲原に関係の深い歯科医院として田中歯科医院を紹介しました。この建物が建っていた『蒲原の東山』がわかりました。
 
 蒲原町史(大正時代)によれば東山には明治時代、政治家や実業家の別荘が造られました。岡部子爵の「竜雲山荘」や東京電灯(株)の初代社長矢島作郎氏の「矢島別荘」等がそうです。人々はここを別荘村と呼んでいたそうです。その場所は、現日軽金技術センター内と思われます。現在移転され残っている建物は下記の2軒だけです。特に、矢島作郎別荘のトンガリ屋根の洋館は目立ったそうです。他に、矢島別荘があったと思われる石碑が本町・五十嵐家にあります。
堀切運河説明看板
この看板には東山が記載されております。
矢島冊郎氏別荘洋館
(現吉原の田中歯科医院)
4.青山荘追記
 旧五十嵐歯科医院に関連して、田中光顕の別荘『青山荘(せいざんそう)』について記載しましたが、青山荘のパンフレットを頂きました。私はほんの少し外から見ただけで、こんなに大きな別荘だとは思ってもみませんでした。
5.蒲原宿の解説マップ・パンフレット
 最後に、蒲原宿の解説マップ・パンフレットを掲載いたします。
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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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