7.NHK人間講座『朝鮮通信使』の解説(下)
通信使がこの清見寺に泊ったのは慶長度、寛永元年度の二回だが、後年の通信使も往復の途次に登閣することを期待していた。
駿河湾を前にした風光の明媚さと共に歴代の寺僧との交流を楽しみとしていたのだろう。葛飾北斎の「東海道五十三次」のうち「由井」は通信使の一人が日本の役人や僧侶の前で墨痕鮮やかに「清見寺」としたためている絵柄である。
葛飾北斎の『由井』は、
『4.朝鮮通信使の歴史』に掲載しています。
これは想像図だが通信使と清見寺の深いかかわりが広く知られていたことの証拠である。
富士山もまた通信使に旅中の一大眺望としておおいに期待されていた。金仁謙(キム・インギョム)の『日東壮遊歌』は大きすぎた期待と実見してあらためて受けた感動を率直に告白している。
富士山もまた通信使に旅中の一大眺望としておおいに期待されていた。金仁謙(キム・インギョム)の『日東壮遊歌』は大きすぎた期待と実見してあらためて受けた感動を率直に告白している。
写真は、葛飾北斎の東海道五十三次の『原』
興津清見寺を出た一行は、吉原から三島をへて、箱根峠で富士山を見ながら芦ノ湖の水と箱根の緑を堪能した後小田原にも宿泊し、江戸に向ったのであります。
第8回 江戸聘礼(へいれい)と江戸の人びと