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 3.清見寺の建物の中に入って 
 いよいよお寺の建物に入ります。
 
前回撮った写真です。椅子が今回とは違います。
今回撮った写真です。椅子が新調されております。
 「お寺の中へ入ってきました。こちらはまず方丈と呼ばれる建物です。」
 「これは方丈と呼ばれるところですが、今から入るこの方丈130畳敷きの広さがあるものですから、一般には『大方丈(おおほうじょう)』と呼ばれております。」
 「この『大方丈』は、お寺の本堂とも考えていいわけですね。」
「そうです。それじゃあ須弥壇(しゅみだん)を見て頂きます。この須弥壇の仏像は『十一面の観世音菩薩』です。この仏像が一番後ろに、安置されているんですけれども、その像の手前に背の高いご位牌がずっと並んでいますね。」
「はい。」
 「ここに安置されているのが、徳川歴代将軍のご位牌であります。ただし、15代将軍の慶喜さんだけはありません。慶喜さんは神道(しんとう)でお葬儀をされたんだそうです。神道でお葬儀をされた場合には、ご位牌は造らないということなので、ご位牌がないわけであります。したがって、正確に言うと徳川家将軍の14代の家茂公までのご位牌が安置されております。
 
 
 それから手前にきますけれども、明治天皇。明治天皇は東京遷都の折、このお寺にお寄りになって小休されています。それからその左はですね、明治天皇の奥様の昭憲(しょうけん)皇后様になります。
 
 
 
写真は、明治天皇のご位牌
 
 
 それからですね一番右の、あのちょっと黄色のものは大正天皇。大正天皇は実は皇太子の時代に、このお寺に複数回おいでになっております。
 
 
 
 
写真は、大正天皇のご位牌
 
 特に、明治22年、23年の両年は、このお寺に1週間ずつお泊りになったんだそうです。そして前の海岸で、海水浴を楽しまれたということで、『皇太子殿下御海水浴跡の石碑』なんていうものも、今も残っております。
 
写真は、皇太子殿下御海水浴跡の石碑
 
 それから最も大事っていうかですねこのお寺のルーツってなっているようなもので、右側に『天武天皇』って見えますか。」
「はい、ちょっと黒い、時代がかった感じのご位牌がありますね。」
 「はい、このご位牌には実は『天武天皇尊儀』と書かれております。この方こそが、飛鳥の都で「この清見寺の場所に、関所と御堂を造りなさい。」という命令を出した天武天皇さんなのです。このお方がこのお寺と深い関わりがあるということになるかと思います。ちょっと細身のご位牌ですけど、あそこに安置されております。
 
 
写真は、天武天皇のご位牌
 
 
 
 それから中央のですね、あの緑の頭は今上天皇(きんじょうてんのう)のご位牌です。今上(きんじょうてんのう)とは、現在の生きている天皇陛下のことであります。現在の125代の平成天皇のご位牌であります。まだ亡くなっていないのでご位牌という表現はいけないのかも知れません。しかし、「平成天皇の健康とか長寿とか日本国が平和で推移するようにということ」を願って、格式のあるお寺さんは安置するんだそうです。
 
 
写真は、今上天皇のご位牌
 この清見寺は、お寺ですから仏様で本来ならば神道の天皇家は関係ないはずであります。ところがこの清見寺は天皇様もお祀りになる数少ないお寺さんなのであります。」
「では、徳川家ともご縁があり、天皇家ともご縁があるというお寺なんですね。」
 
写真は、天皇陛下の玉座
 「はい。この清見寺には1300年もの歴史があります。数々の歴史がありますが、古い時代から言いますと足利尊氏公が、この時代に荒れてる清見寺を再興してくれたとか言われております。
 次には、今川さんがさらにまた荒れてる清見寺を立派なお寺にしてくれた。これはあの今川家の住職(臨済寺)であり、軍師の太原雪斎(たいげんせっさい)の時代です。その時代こそが徳川家康さんが、竹千代さんの時代になるわけです。
 そのあと秀吉さんもこのお寺を大事にしてくれましたね。で、もちろん家康さんになってからですね、ずっとこのお寺を265年間大事にしてくれたのです。
 このように、清見寺は日本の歴史を形作ってきたような方々と、ずっと関係を持ってるお寺っていうことなります。」
 
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税理士法人森田いそべ会計
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TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
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