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 2.缶詰産業の始まり
 「最初ですけども、やっぱり缶詰産業の始まりといいますか、日本よりも前の缶詰について、紹介をしております。
 缶詰といいますと、有名なのは、二コラ・アペール、フランス人の方ですね。
 最初はこのフランスで瓶詰めとして開発をされております。といいますのも、ナポレオンが遠征に行った時に、糧食(りょうしょく)っていいますか、腐らないで遠くまで持っていくのにどうしたらいいか、ということを兵士に聞いたところ、二コラ・アペールという人が、空気を抜いてしまえば長持ちするということを発見して、まず瓶詰として始まったそうですね。」
 
ニコラ・アペールの瓶詰め法
 1804年に「細長いびんや広口のびんに予め調理した食品を詰め、コルクでゆるく栓をし、湯煎なべに入れて沸騰過熱し、30-60分後、びん内の空気を除いて、コルク栓で密封する」保存食品の製造法を考案。パリ近郊のマッシーに保存食品製造所を開いてびん詰めの製造を開始する。
 この方法でナポレオン率いるフランス政府の新しい食品貯蔵法についての懸賞に当選し、12000フランの賞金を得る。
 1808年、フランス産業振興連盟にこの方法で作った3本のびん詰めミルクを提出。6年後の1814年に開封されて試飲され、この方法の正しさが認められ、『アペール法』と名づけられた。
 「ナポレオンの時代からなんですか。」
 「そうですね。恐らくフランスというのは、シャンパンとか作っていましたので、その製法として、空気を抜く、ということがやっぱり知られていたんだと思うんですね。それから、その製法がイギリスに伝わって、イギリスで缶詰になったそうです。」
缶詰の歴史
 アペールがびん詰での食品保存の原理を発明してから6年後の1810年、イギリスではピーター・デュランが容器にブリキを用いることを考えました。製造の方法はアペールのものと全く同じでしたが、デュランはこのことでイギリス政府の特許を取得しています。また、同じくイギリスではブライアン・ドンキンが世界で初めての缶詰工場を興し、缶詰の商業生産をはじめました。
 写真の缶詰は1824年のものですが、デュランやドンキンが製造したものに年代的にももっとも近い姿であると思われます。ちなみに当時は缶きりというものがまだなく、「ノミとオノで開けてください」との注意書きがついていたそうです。
 「それがまた日本へ伝わってくるには、まだずいぶん時間がかかったんでしょうか。」
 「そうですね。日本に伝わるのは、明治に入ってからですね。最初は長崎のほうで缶詰が作られた、ということですね。それから、北海道の開拓使の方たちがシャケの缶詰を作ったというのはよく知られていますね。」
 「ここに写真もありますけれども、これは昔の缶詰なんですか。」
 「昔の缶詰ですね。1852年の缶詰だそうです。」
 「北極探検隊に使われていたんですか。」
 「そうですね。やはり保存がしやすいということで、持って行ったそうですね。」
日本の缶詰の歴史
 日本で始めて缶詰が製造されたのは、1871年(明治4年)のこととなります。長崎の松田雅典が当時勤務していた外国語学校のフランス語教師・ジュリーから、イワシ油漬缶詰の製造を伝授され、試作したのが日本で始めて作られた缶詰となります。
 松田雅典がイワシ缶詰を試作してから6年後の1877年(明治10年)、明治政府は北海道開拓使による官営の缶詰工場を石狩に設置し、石狩川をさかのぼってくるサケを原料に我が国で初めて缶詰の商業生産を開始しました。
 この生産を開始した日が明治10年10月10日であったという記録により、缶詰業界では「10月10日」を「缶詰の日」に制定しています。
「そうすると、この当時の缶詰というのは、あまりご家庭用というよりは、探検隊だとか、軍隊だとかそういうところが多かったんですか。」
「そうですね。まだ家庭用に一般的ではなかったようですね。面白いのは、缶詰ができてから、缶切りがすぐ発明されたのではないようですね。映画とかでも観るんですけれども、斧とかナイフとかああいうもので刺したりとかして、缶詰を開けていたようです。」
「今ですと、缶切りがなくても手軽に開けられる缶詰がありますが、これも大きな発明なんですね。」
「だと思いますね。今の若い方で缶切りを知らない方もいるかもしれないですね。パッカン、と開けてしまいますので。」
「はい。」
缶切りについて
 1810年に金属製容器に食品を入れる缶詰が発明された。これにより、食品を長期間保存・携行することが容易になったが、初期のものは殺菌の方法に問題があり、たびたび中身が発酵して缶が破裂するという事故を起こした。また、密封用のはんだに鉛が多量に含まれており、食べた人が鉛中毒で死亡する事故もあった。
 1833年には缶の蓋の周りをはんだ付けし、熱で溶かして缶を開ける方式が考案された。1860年代にはブリキが発明されて、缶切りが登場するようになった。
 このように、当初は缶切りは発明されず、開封は銃剣でこじ開けたり、金鎚と鑿(のみ)を用いるため、内容物が固形物に限られ、液状のドリンク類は入れられなかった。缶切りが発明されると、液体なども入れられるようになり、内容物のバリエーションが広がった。さらに、その後、缶切りが無くても開けられる様にイージーオープンエンドが発明された。
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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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