第三十九話 明治以降の清水港の歴史
フェルケール博物館
住 所:〒424-0943・静岡市清水区港町2丁目8-11
電話番号:054-352-8060
アクセス:東名高速道路 清水ICから約15分・JR「清水駅」よりしずてつジャストライン「三保方面」行き乗車 「波止場フェルケール博物館」下車 徒歩すぐ
開館時間:9:30~16:30
休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)
入場料:大人:400円•中高生:300円•小学生:200円
目 次
近代の清水港は、袖師や興津にコンテナターミナルが造られ、コンテナクレーンが建ち並んであります。さらに、日本丸や海王丸が寄港する港でもあります。昔に比べれば格段と進歩したのですが、世界の物流の進歩のスピードからは遅れ気味であります。平成に入ってからは清水は年々影が薄くなっております。10年後、いや30年後はどうなっているのでしょうか?
清水港で取り扱っている主な輸出品は、①自動車部品 ②産業機械 ③オートバイ ④紙・パルプ ⑤その他輸送用機械だそうです。次に、主な輸入品は、①LNG ②紙・パルプ ③化学薬品 ④大豆 ⑤その他農産品だそうです。取り扱っている貨物や立ち寄る船も時代と共に、変化しております。
フェルケール博物館の中には、昔の荷役(にやく)作業が想像できるコーナーがあります。私の子供の頃にはよく見られた人力による荷役作業ですが、今の機械化の時代では人件費がかかりすぎてとても採算が合いませんね!
機械化やコンピューターが進めば進むほど、仕事が楽になって行くのですが、一方では仕事が減って失業問題がますます深刻化していくような気がします。
長い鎖国時代が終わり、日本がアメリカ合衆国をはじめとする国々と貿易を開始し、世界経済の中に組み込まれた当時、茶は生糸と並ぶ重要な輸出品目となった。明治維新後、静岡県の牧之原台地の開墾などによって大幅な茶の増反が行われたのは、立地条件的な理由もあったが、当時、茶が有望な商品作物として期待されていたためである。当時は茶の生産量など統計的な把握は困難だったと思われるが、データによれば、例えば明治15年には生産量の実に82%が輸出に供されていたことになる。
静岡市のHPより
清水港、悲願の『茶の直輸出』は明治39年(1906)からだそうです。
第3展示室には、いくつかの和船の模型が並んでおります。これらの和船にはそれぞれ特徴があると思いますが、詳しい説明はありませんでした。できれば映像を使って、それぞれの舟の特徴でも説明してくれればありがたいのに、なんて思いながら和船を見学いたしました。
なお、2階の特別会場では『御座船 絢爛豪華な大名の船-船の科学館コレクションより-』が開催されておりました。