第三十八話 清水湊から清水港の歴史
フェルケール博物館
住 所:〒424-0943・静岡市清水区港町2丁目8-11
電話番号:054-352-8060
アクセス:東名高速道路 清水ICから約15分・JR「清水駅」よりしずてつジャストライン「三保方面」行き乗車 「波止場フェルケール博物館」下車 徒歩すぐ
開館時間:9:30~16:30
休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)
入場料:大人:400円•中高生:300円•小学生:200円
目 次
フェルケール博物館を訪れるのは、今回が2回目です。せっかく、訪れたのでなにか参考になるものを購入しようかと思い、売店を覗いて見ました。ところが、残念ながら購入したいものがなにもありませんでした。
せめて、『絵葉書くらいは販売してもよさそうなのに---』と思いながら、まずは第一展示室に向かいました。
第一展示室には、江戸時代の清水の地図が貼ってありました。そこには、『川湊としての清水港』と記載されており、その横には『清水湊の変遷(江戸時代)』と記載されておりました。江戸時代の清水みなとは、巴川にあったのです。そして、その巴川には港(船の発着場所)はなく、川岸へ舟を引き上げたようです。江戸時代の清水みなとは、港よりも湊(人の集まる水辺)の字の方が相応しいようです。
清水の地形は、江戸時代の初めと今では大きく違っているようです。今の区役所から清水波止場一帯は、江戸時代の初めには存在していなかったのです。今の区役所から清水波止場一帯は、江戸時代に堆積してできた『向島』と呼ばれる無人の砂浜だったのであります。この『向島』の反対側が清水湊として栄えたのであります。
昔々清水と江尻が合併する時、清水市にするか江尻市にするかもめたそうです。清水湊と江尻の宿、軍配は清水湊に上がりました。東海道の江尻の宿よりも繁栄した清水湊、その清水湊の繁栄を物語る資料が、このフェルケール博物館に残っているのです。この蒔絵(まきえ)のお椀(わん)には、富士川舟運が描かれております。お宝鑑定団に出したらいくらぐらいするのでしょうか?
明治に入ってからは、川の清水湊から海の清水港になります。現在の我々がイメージする清水波止場の時代がやってきました。当初は清水波止場ができて、清水港と横浜港を結んでいた航路も直接清水港とアメリカを結ぶようになったのです。明治以降の清水港の活躍は次回・第39話『明治以降の清水港の歴史』をご覧ください。