日蓮会殉教衆青年党(死のう団)結成のいきさつ
日蓮会は、蒲田に建設した「日蓮会館」を拠点として、積極的に辻説法を行った。最盛期の1931年頃には、500名ほどの信者を擁していたとみられる。
しかし1932年に入って、組織を揺るがす事件が発生した。
ある建設業者の愛人の女が、日蓮会館に入り浸るようになった。説法には関心を示さず、盟主の江川を連れ出そうとする彼女を見た信者らは、彼女が江川を誑(たら)し込もうとしていると噂した。江川は彼女の家を訪れ諭そうと試みたが、それを知った建設業者は、屈強な部下達を会館に送っては「よくも俺の女に手をつけたな」「江川を出せ」などと怒鳴らせるという嫌がらせを執拗に行った。会員らの中には、これに恐れをなして、あるいは盟主の乱れた女性関係を信じて失望し、脱会する者が続出した。
1933年1月、日蓮会の新年会に出席した若者らは、このままではいけないと口々に言い合った。現状への不満を募らせた彼らの出した結論が、「死のう団の結成」であった。
我が祖国の為めに、死なう!!!
我が主義の為めに、死なう!!!
我が宗教の為めに、死なう!!!
我が盟主の為めに、死なう!!!
満井 佐吉
1893年- 1967年
順逆不二
日蓮主義・北一輝の考えを理解するには、この『順逆不二』の思想を理解する必要があります。
順とは順縁のことです。順縁とは、素直に仏縁を結ぶということです。仏の真実の教えである妙法の教えを聞いて素直に信じ、仏道に精進する者を順縁の衆生といいます。
次に、逆とは逆縁の事です。逆縁とは、妙法の教えを聞いても信ずることなく破法(はほう)・謗法(ほうぼう)を重ね、後にその罪が逆に仏縁となっていくことをいいます。
では、不二とはなにか?不二とは二つに見えるが、実際は一つであることを言います。
順縁の衆生は南無妙法蓮華経を素直に信受して即身成仏の大功徳を受けますが、逆縁の衆生は誹謗(ひぼう)の罪によって一時は無間(むけん)地獄に堕ち、無量の罪苦(ざいく)を受けます。それでも、やがては自らの心田(しんでん)に植(う)えられた妙法の仏種が薫発(くんぱつ)し、必ず成仏することができるのです。
このように、順縁の衆も逆縁の衆も同じく折伏を受けたものは救われるのです。
したがって、一刻も早く謗法者(仏教の正しい教えを軽んじる者)を地獄に追い落とし、そこで仏の慈悲を受けさせる。逆縁の功徳により君側の奸も維新の一翼をになうことができるのです。
『語るは易、行う事難し。敵見事粉砕す。国家法案重点。汝らに重きを知れ、仙人。(北一輝の霊感夢告、昭和11年正月13日)』
まさに日蓮主義過激派・テロリズムの教えなのです。