駿河近郷 十二薬師の起源(原文)
清水湊近郷の十二の薬師如来を、いつの時代に誰が巡拝の対象に選んだものかわからないが、恐らく徳川時代の末頃からであろう。寺院の巡拝、巡礼の風習は平安朝中期から始められ、始めに西国三十三箇所巡りが行われ、徳川時代に至り坂東、秩文の三十三観音巡りが始まった、寛永・元禄の頃から、江戸、京都、大阪、或は各地方毎に三十三観音が選定され、更に一寺院内に三十三観音を観請して巡拝させる風習を生じた。当地方にも駿河近郷十二薬師も恐らく三十三観音になぞらえて選定巡拝されたものである。駿河近郷と言ってはいるが、その選定は清水を中心にして行われている。三十三観音は観世音菩薩の三十三身の教説にもとづいたものである。十二薬師の場合は、薬師如来の十二誓願、もしくは十二神將の配置によったものであろう。観音の場合と同じく御詠歌を唱えて巡拝したものである。
一番 禅叢寺 上清水 二番 東泉寺 入江岡
三番 金剛法寺 渋川 四番 西照寺 北脇
五番 祟寿寺 下野 六番 保蟹寺 大内
七番 長昌寺 草薙 八番 鳳琳寺 中之郷
九番 薬師堂 馬走 十番 妙音寺 村松
十一番 東向寺 宮加三 十二番 東光寺 横砂
一番の善叢寺の薬師を中心に選定されたものらしい。右のうち七番の長昌寺は廃寺となり薬師堂のみ残っている。十番の妙音寺の薬師如来は現在の鉄舟寺仏殿に祭られている。
駿河近郷 十二薬師の起源(解説)
清水湊近郷の十二の薬師如来を、いつの時代に誰が巡拝の対象に選んだものかわからないが、恐らく徳川時代の末頃からであろう。寺院の巡拝、巡礼の風習は平安朝中期から始められ、始めに西国三十三箇所巡りが行われ、徳川時代に至り坂東、秩文の三十三観音巡りが始まった。
西国三十三カ所巡り
西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。
「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源平の戦いの後、敵味方を問わない供養や永い平和への祈願が盛んになり、源頼朝の篤い観音信仰と、多くの武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場への想いなどが結びつき、鎌倉時代の初期に坂東三十三観音霊場が開設されました。
やがて、秩父三十四観音霊場を加えた日本百観音霊場へと発展し、今日に至っています。
一番 白華山禅叢寺 臨済宗清見寺末 清水市上清水 折下
二番 端陽山東泉寺 臨済宗清見寺末 入江岡
三番 瑞光山金剛法寺 臨済宗清見寺末 清水市渋川
四番 日東山西照寺 曹洞宗楞厳院末 清水市北脇
五番 医王山祟寿寺 臨済宗清見寺末 清水市下野
六番 富谷山保蟹寺 曹洞宗長光者末 清水市大内
七番 吉祥山長昌寺(薬師堂) 曹洞宗眞珠印末草薙(小田)
八番 月光山鳳琳寺薬師堂 曹洞宗桃源寺末 中之郷
九番 馬走薬師堂 曹洞宗楞厳院末 馬走堂の山
十番 妙音寺(現在鉄舟寺停殿の薬師如来)村松 臨済宗 清見寺末
十一番 陽沢山東向寺 臨済宗宝 寺末 宮加三
十二番 医王山東光寺 臨済宗清見寺末 清水市横砂
一番の善叢寺の薬師を中心に選定されたものらしい。右のうち七番の長昌寺は廃寺となり薬師堂のみ残っている。十番の妙音寺の薬師如来は現在の鉄舟寺仏殿に祭られている。