5.明治以降の展示物
(清水歴史探訪より)
「こちらは何でしょうか。額の中に入っています。」
「これは明治の初めのころの卒業証書と書いてございますが、実際には、1つの学年が終わったときに与えられた証書でございます。
『下等小学 第4級卒業候事(そうろうこと)』と書いてございますが、これが明治13年でございますね。
4級を卒業すると、今度は3級に上がるんだそうですね。今と順序が逆でございます。 5級で入学して、4級、3級とこう上がっていきます。
こちらのほうが5級で、明治13年1月、4級が9月になっておりますので、今のように常に3月で卒業する、あるいは進級するということではなくて、ある過程が終わるとすぐに上がれるという制度だったということが、この2枚からお分かりいただけるかなと思います。」
「『静岡県平民』と書いてあるんですね。」
「当時はやはり身分を書いたんですねぇ。そして、そのあとに家督相続をした、この本人の父親の名前が書いてございます。常に家督相続した人を書くという習慣があったようでございます。」
「『誰々の長男』、という風になっているんですね。」
「そうでございます。『6年3ヶ月』と書いてございますが、5級が終わったら6歳3ヶ月。ですから、5歳で入学したことが想像できます。それでまだ蒲原宿と書いてございます。『駿河の国庵原郡蒲原宿蒲原学校』と書いてございますね。蒲原は確か明治22年ですか、町制が敷かれたのは。それまでは、すべて『蒲原宿』と書いております。」
志田邸は、戦争の時代もくぐり抜けてきました。
「これは、戦争を絶対に起こしちゃいけない、ということで、戦争の悲劇も伝えていきたいなということで、一角にはいつも戦争の物を置いております。
これは今度の戦争で、この家から3人の者が出征したわけですけれども、昭和17年に出征するときに見送っているときの写真と、その時に立てた出征旗、旗でございます。
日清日露戦争の所から部分的に関係の物を展示しておりますが、やはり、今度の太平洋戦争の関係の物が多くありますので、これをここに展示している次第でございます。
『日本軽金属の所に、高射砲を5門据付けたので、これで安心だ』、なんていう手紙が出ておりましたので、準備がこの宿場でも相当進んでいたようでございます。」