(清水歴史探訪より)
江戸時代の文化を知る手掛かりも、たくさん残されています。
「たくさんの古い、これ本ですね。」
「そうでございます。浄瑠璃の本でございます。例えば、これは宝暦6年と書いてありますので、1756年に出版されたものでございます。どうしても地方ですと、歌舞伎みたいなものが来ることはできませんので、浄瑠璃あたりをみんな楽しんでいたようでございます。」
「色のついたものもありますね。」
「これは、小説でございますね。浮世絵と同じように刷ったものを閉じた小説でございます。」
「でも、これだけ本が普及していたということは、皆さん(字が)読めたということですよね。」
「江戸幕府は、一般庶民も学ぶことを奨励したようでございます。
したがって、寺子屋があちこちでできて、江戸時代の段階で、国際的に比較すると日本が一番識字率が高かったと言われています。こちらのほうは、寺子屋の教科書とノートでございます。
寺子屋の教科書は、大ざっぱにいって、800種類とかあったと言われていますし、浮世絵と同じように木で刷りますので、どんどん摩滅すると。そうするとまた刷り直すということで、微修正したものも入れますと、1万種類もあったと言われております。
こういう教科書の一部をここに展示しておりますが、上のこのノートは非常にめずらしいようでございます。どうしてもノートは処分してしまうということで残っていないようです。
たまたま今、文久2年のページを開いておりますけれども、寺子屋では地理を教えたり、あるいは俳句やなんかを教えたり、そういうことをしていたのが分かるわけでございます。」
「よく『読み書きそろばん』といいますけれども、地理も教えていたんですか。」
「そうですね。ですから、『東海道15ヶ国』なんていうことで、伊賀・伊勢から始まって武蔵、常陸、そうやって地理も教えていたりしたようでございます。」
「このころには、ノートとして紙が使えるぐらい普及していたんですか。」
「そうですね。和紙は、それなりに手に入ったようでございます。ただし、非常に単価が高かったんだろうと思います。」
「たくさんありますけれども、これは蒲原宿で保存されていたものなんですか。」
「そうでございます。ほとんど先祖の名前が書いてありますので、ここで使われたものでございます。」