(清水歴史探訪より)
「さて、現在のこの志田邸なんですけれども、資料館ということで、さまざまなものが展示されていますが、どんなものがあるんでしょうか。」
「店の間に展示しているのは、1つは、葛籠(つづら)でございます。
江戸時代は、基本的な戸棚なんかはあまり作らなかったんですね。したがって、着る物やなんかでも部屋の隅っこに置いていたようでございます。ですが、やはり何かに入れたいということで、ツヅラフジという木がございますが、そういうのを編んで籠状にして荷物を入れ出した、と。
しかし、どうしてもすきまからほこりが入るということで、あれは寺子屋のノートを貼ってございますけれども、そういうものを貼って、葛籠(つづら)という形にしたようでございます。
「葛籠に紙を貼ったものは、庶民的ですね。」
「そうですね。紙はいずれにせよ、簡単には燃やさなかった、と。こうやって、葛籠に貼ったり、あるいは帽子やなんかもですね、紙で作ったり、建物の隙間に貼ったりというようなことで、ありとあらゆるところに古い紙を使ったようでございます。」
「まさに、リサイクルが行われていたということですね。」
「そうですね。そういう意味じゃあ、江戸時代は循環型の社会、典型的な循環型の社会だったと思います。」
「これは銭函(ぜにばこ)でございますね。お米とか塩、あるいは醤油を商っておりましたので、日銭が入るという形で、寛永通宝、1文銭で生活をしている社会だと思いますけども、そういうものを入れる箱でございます。」
「穴が開いているのは、どうしてなんですか。」
「ここから寛永通宝を入れたようでございます。」
「じゃあ上から入れて、出すときには鍵を開けてということですね。」
「そういうことですね。一両小判は、寛永通宝4,000枚の価値。そう意味では、どうしても、寛永通宝の社会は、こうやって嵩(かさ)が大きくなってしまったようでございます。旅をするときは大変だったようですね、ですから、その時だけは両替して1両小判で旅をしたようでございます。」
「縦横1mぐらいの正方形の机があるんですけれども。」
「こちらにありますのは、『蒲原古代塗(こだいぬり)』と呼ばれているものでございます。現在、仙台に堆朱(ついしゅ)という工芸品がございますが、伊達藩がここを通られたときにこちらにしばらく滞在して、この技術を蒲原宿に伝えてくれたものでございます。」
「東北地方から伝わったんですね。」
「そうです、はい。かまくら彫りは、彫って凹凸を作るんですが、この古代塗りは、塗り重ねて膨らみを作るというものでございます。
明治になって、輸出までしていたそうですから、そういう意味では江戸時代から明治にかけて、相当作られたのかもしれません。その辺は、詳しい記録はございませんけども、最終的には、この戦争で工場が被災して作られなくなったようでございますので、昭和の前期までは作っていたと聞いております。
なんとかこういうものを復元したいということで、今、蒲原宿には勉強会ができて、一生懸命努力しておられますので、近い将来同じものができるようになるのでは、と思っております。」
下の写真は、旧五十嵐邸で撮った『蒲原古代塗り』の解説です。