「さて、この建物なんですが、どんな造りになっているんでしょう。」
「昔は、間口で税金をかけましたので、よく京都なんかですと、『鰻の寝床のような建物』と言われますが、同じように間口が狭くて奥行きが長い構造になっております。
いわゆる商家はですね、街道に面した「店の間」というところで商いを致しますので、表が商談をした部屋でございます。
写真は、「店の間」
それから、「客間」、「中の間」と申しますが、そして、生活するところ、というのは縦につながったいわゆる縦列型、一列型の建物でございました。
そして、外をずっと回っていくのが大変なので、家の中の後ろまでいけるように、通り土間ということで、土間が裏まで続いている、こういう構造でございます。」
「そうでございますね。一般的に街道に面した部屋で商いをしていたというのが、江戸時代の特徴でございます。」
「さて、ここには色々なものが展示されているんですけれども、どんなものがあるんでしょう。」
「今、関所手形なども展示しておりますが、建物の特徴でもありますと、街道に面したところの雨戸が、蔀戸(しとみど)ということで、一般の町民の家は、新しい横に開く雨戸に変わってしまっていますが、幸いに、蔀戸がそのまま残されています。・・・蔀戸をちょっと開けます。」
・・・蔀戸(しとみど)を開ける音・・・
「格子の内側へ開いてくるんですね。」
「そうですね、お寺・神社は今も外に開きます。自分の境内ですから。町民の家は外が道路ですから内側に開ける。したがって、三段にして上二段を天井からつるす、とこういう形、これが蔀戸なわけですね。」
「じゃあ、道路に出しちゃいけなかったんですか。」
「当時は馬も通る、人も通るということで、外へ出すと、かえって邪魔になるということだったと思います。」
建物は、通り土間の右手に部屋が並び、奥へと伸びています。
「普段、店の間の最初に入ったお部屋で商談が行われて、この今二番目のお部屋なんですけれども、ここではどんなことが行われたんですか。」
「ここが「中の間」と申しまして、客間でございます。したがって、ゆっくりしていただける方はここに上がっていただいて、囲炉裏もついておりまして、冬なんかはここでお茶を沸かしながら休んでいたんだろうと思います。
そして、中の間はこちらが畳は張り替えましたけども、昔のままにしておりますので、1畳半の畳を使っているというのがお分かりいただけるかと思います。今は1畳と半畳でございますが、当時は9尺の1畳半の畳を使っていたというのがここに残されております。」
「一番街道寄りの所の畳ですね。」
「そうです。東海道でも、あるお寺に1枚残っているのを見つけましたけれど、ほとんど残っていない状況になっております。長さだけが1.5倍ということでございます。」
「この畳は、今作ってくださる方はいらっしゃるんですか。」
「本当にいないんですね。ことに今は畳屋さん、機械で作るようになったので、1畳間にしかできないようなのです。ですから、これ張り替えるときにちょっと苦労したんですけれども、やっと作っていただいたんです。」
「そして、そのもう1つ奥のお部屋は、これはどういうお部屋なんでしょう。」
「奥は、居間でございますので、当時は畳でゆっくりしていたと思います。一番南の、4つ目はもう板の間にしてしまいましたけれど、昔は畳であったようでございます。南側の2つが生活の場。北側の2つが客間と商いの部屋、こういうことでございます。」