東海道57次 中山道67次交流館
施設所在地:静岡県静岡市清水区蒲原三丁目19-28
管理 運営:NPO生涯学習・健康福祉推進センター
電 話:054-385-7557
開館 日時:水曜・土曜・日曜・祝日 10時~15時
東海道新幹線「新富士」下車 →タクシーにて約15分
◆車での交通のご案内
富士方面から→国道1号線 高浜ICより車で約5分
静岡方面から→国道1号線 蒲原西ICより車で約15分
東海道は53と誰しもが覚えてきました。しかし本当は、東海道は57次だったのです!確かに、当初徳川家康が東海道に宿駅制度を敷いた時には、江戸から京都までまででした。しかも宿駅は約40だったのです。しかし、家康が亡くなった直後は、江戸から大坂までの57の宿駅が完成したのであります。
蒲原宿は、1つ目の品川から数えて15番目の宿になります。隣の吉原宿は、元吉原、中吉原、新吉原(現在の吉原本町)と津波のため宿場の引っ越しがありました。蒲原宿は大きな引っ越しはなかったのですが、高波で被災して山側に移動した歴史があります。宿場の規模ですが、蒲原の宿は中規模、由比の宿は小規模であります。
宿場には3つの使命がありました。1つ目は、人馬継立て。2つ目は、継飛脚(つぎびきゃく)。3つ目は、宿泊の提供でした。
もともとは、お上の為の宿場だったのですが、徐々に一般の人が使うようになりました。東海道は賑やかだったため『100人 100疋(匹)』。これに対して、中山道は『50人 50疋』。その他の街道は『25人 25疋』でした。
東海道は本当は57次だったのですが、江戸から京都までの東海道と江戸から大坂までの東海道の2つあったと解釈すれば、東海道は五拾三次と五拾七次と言えます。したがって、東海道は53次も決して嘘ではないのです。このように、『東海道は53次』が広まったのは、広重の描いた浮世絵の影響なのであります。
東海道の京都・大坂間には宿駅は、4つあります。伏見宿、淀宿、枚方(ひらかた)宿、守口宿の4つです。伏見宿は、東海道57次で最大の宿場で、実質は京都の湊町でした。枚方宿は、京~大坂の中間点で、淀川の中間点でもあります。さらに、京~大坂の4宿の代表的な史料館・船宿『鍵屋』もあります。
旧志田邸を後にする前に、旧志田邸のお庭を拝見させて頂きました。お庭には、江戸時代の人が愛でた赤い実がつく『一両』、『十両』、『百両』、『千両』、『万両』という木が栽培されておりました。『千両』、『万両』は良くありますが、『一両』、『十両』、『百両』は珍しい木です。いずれも、冬の花が咲かない時期に赤い実をつけます。
「東海道57次 中山道67次交流館」の館長 志田威(たけし)が書かれた『「東海道五十七次」の魅力と見所』を拝見しました。本を眺めただけででも気持ちが浮き浮きしてきます。いつか仕事からの呪縛から離れて、実際にこの本を片手に『東海道57次』をこの足で歩いて、この目で見てみたいと思いながら、この本を読ませて頂きます。
日本橋を出発して、1番目の宿は日本橋~10番目の宿である箱根宿の解説です。志田さんの本を読みながら、広重の『宝永堂版東海道53次』を見ながら、民謡『お江戸日本橋』を口ずさみながら、気持ちは旅行気分です。一番行ってみたいのは、小田原宿から箱根宿。全部歩くのは無理なら公共交通機関の助けを借りて、ゴールデンウィークの休みにでも行きたい気分です。
第2章 『駿河路を行く』は、私のふるさと江尻の宿を中心とした地域です。良く知っている場所もあれば、まだ行っていない場所もあります。『清水歴史散策』のお蔭で、静岡市の清水区は詳しくなりましたが、丸子から先は車で行ったことがあるだけです。まず、手始めに『藤枝の染め飯弁当』でも食べてみようか思っております。
浜松に住んでいたこともあるので、静岡県内は多少行ったこともありますが、静岡県外は未知の世界です。本を読むと『岡崎宿』が面白そうです。それと有松の『有松絞りまつり』は一見の価値がありそうですね。熱田宿は、隣の桑名宿と合わせて見てみたいですね。やはり、『桑名の焼き蛤』を食べに行かなくては!
一番の見所は京都でしょうが、宿場としてはまずは『関宿』でしょうか?まだ一度もJRの関西本線には乗ったことがありませんので、是非関西本線に乗ってJR『関駅』で降りて『関宿』を歩いてみたいですね。その前に、まずは近くの箱根宿の石畳に挑戦してみたいですね。