第三十三話 蒲原宿・旧志田邸を訪ねて
蒲原宿・旧志田邸
施設所在地:
静岡県静岡市清水区蒲原三丁目19-28
管理 運営:
NPO生涯学習・健康福祉推進センター
電 話:
054-385-7557
開館 日時:
水曜・土曜・日曜・祝日 10時~15時
JR東海道線「新蒲原」下車 →徒歩約8分
東海道新幹線「新富士」下車 →タクシーにて約15分
◆車での交通のご案内
富士方面から→国道1号線 高浜ICより車で約5分
静岡方面から→国道1号線 蒲原西ICより車で約15分
目 次
当初、JRで蒲原宿・旧志田邸へ行こうと計画しておりましたが、多忙のため車で訪問することになりました。旧志田邸は清水歴史散策Ⅰの時、訪れたことがありますので2度めの訪問となります。前回は夏で、蚊に刺された記憶があります。今回は、車で行ったのでオーバーコートも持たず、一月の寒波到来と重なってやけに寒かったです。一生懸命解説をしてくれたのですが、寒さのため、写真を撮るのが精いっぱいでした。
蒲原宿の旧家は、いわゆる町屋造りが多く、蒲原宿・旧志田邸も主屋内は店の間・中の間・居間・と続き、「通り土間1列型」の典型的な町屋形式でした。土間境に欅(けや木)の柱を使い、これを「差し鴨居・差し敷居」で繋いでいます。珍しいのは蔀戸(しとみど)と呼ばれる雨戸です。神社やお寺以外の一般住宅では、残っているのが極めて珍しいそうです。
志田邸に入るとまず天神雛が目につきました。しかし、この天神雛については『清水歴史探訪』では触れていないため、最後の『7.次回の予告と参考書籍』のところで触れることにします。
志田邸には、江戸時代のもの明治に入ってからのものがありますが、まずは江戸時代のつづらとはさみ箱であります。いずれも江戸時代のもので、両方とも聞いたことはありますが実物を見るのは初めてであります。
江戸時代の展示物としては、寺子屋で使われていた教科書、小説、さらには『浄瑠璃』の本が大量にありました。
(注)浄瑠璃とは、三味線音楽における語り物の総称です。室町時代に成立して、江戸時代に最盛期を迎えました。人形芝居や、歌舞伎の音楽、あるいは純粋な語り物として広く庶民に愛好され、日本音楽の一大ジャンルを形成しました。(日本文化いろは事典の解説より)
明治以降の展示物としては、学校の卒業証書や修業証書、さらには期末テストの全校生徒の成績表などがさりました。明治時代は、当たり前のように全校生徒の成績表を公表したのですね。今では、PTAが何というか??
それから卒業証書に、『平民』という身分が書いてありました。明治のはじめには、華族、士族、卒族、平民の4つの身分があり、戸籍を見るとわかると聞いておりましたが、卒業証書にまで記載されていたとは驚きです。
志田家はかって江戸時代からの醤油事業を営んでいたそうです。江戸時代は、商業が発展しましたが、商品を売買する商人や手作業で物を作る職人が中心の時代でした。事業と呼べるような製造業を営んでいたのは、ごくわずかな人であります。したがって、江戸時代の醤油事業を営む工場は産業遺産としても貴重な存在ではないかと思います。
さらに、江戸時代の醤油のラベルが現代によみがえって使われるとは、ロマンを感じますね。
次回は、東海道は五十三次ではなく、五十七次が正しいというお話です。歌川広重の浮世絵で有名になった『東海道五十三次』は『お江戸日本橋』から『京都三条大橋』までの五十三次でしたが、本当は『お江戸日本橋』から『大阪高麗橋』までの五十七次が正しいというお話です。
この次回に備えて、参考書を買いそろえ、泥縄式に本を読もうと努力しております。