(清水歴史探訪より)
清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~
毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
『地域づくりサポートネット』副代表理事の高木敦子さんにご案内いただきました。
「ここは、どういう由緒のあるお宅なんでしょう。」
「ここは、清水の次郎長、みなさん清水の方はもうご存じだと思いますが、1820年(文政3年)に次郎長さんは生まれているんですが、その次郎長さんの生家です。」
「この建物は、もう何年ぐらい経っているんですか。」
「詳しいことがですね、残念ながら、わからないのです。
この次郎長さんのお宅は船頭さんのお宅だったんです。庄屋(しょうや)さんとか名主(なぬし)さんのような大きなお宅ではなく、普通のお宅だったものですから、書き物として残っていないんですよね。
ただ、屋根裏とかのぼっていただいて専門の先生に見ていただいたら、『1820年以前の建物ではない、という証拠は出てこない』ということなので、ざっとみて200年ぐらい前の建物かな、という感じですね。
普通の方のお宅、船頭さんの、要はお商売やっている人のお宅です。お父さん(実父:高木三右衛門)は伊豆の方に炭を買いに行って、こちらで売っていたというような話も残ってるんですね。明治30年ぐらいまでは、伊豆の松崎が炭の一大産地でしたので、このあたりのところに行って買ってきたと思います。」
次郎長の実父について
次郎長の実父、高木三右衛門は「雲不見(くもみず)」と呼ばれたくらいだから、向こう気が強く無鉄砲な性格であった。悪ガキ時代の次郎長や無宿者の博徒であった次郎長は、実父の無鉄砲な性格を引いたと思われる。
(清水歴史探訪より)
「次郎長さん、ご兄弟とかはいらっしゃったんですか。」
「ええ、ご兄弟もいらっしゃいました。ご長男もいらっしゃって、(次男坊の)次郎長さん、生家が高木さんというのですが、高木さんのお宅を継がれる人はもういるものですから、お母さんの親戚筋(の山本次郎八)へご養子に行かれて、山本さんという名前(注)になったんです。」
(注)フルネームは山本長五郎、幼少時代の仲間に「長」(正式の名称は不明)という子供がいたために周囲が長五郎を次郎八の家の長五郎、次郎長と呼び、長じてからもそう呼称されることになったという。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(清水歴史探訪より)
「養子に行かれたというのは、おいくつぐらいの時なんですか。」
「それね、あんまり詳しくはよく分からないんですけれども、生まれてからすぐそういう話が決まったんですが、もともと行った先がこの商店街のすぐ近くだったものですから、行き来はすごくしていて、どっちの家の子っていう形でもなかったみたいなんですけれどもね。」