(清水歴史探訪より)
・・・海岸を歩く音・・・
東京からの水上機が着水していたという三保の内浜海岸にでかけてみました。
(清水歴史探訪より)
「三保の内浜の海水浴場のところにやってきました。ここのあたりが、その水上飛行機に関係した場所らしいんですね。」
「そうですね、ええ。『三保に着水してました』という記録はあるんですけれども、滑走路とかがないもんですからね、なかなか場所を特定できないんですけれども、真崎(まさき)の内側の水面に降りてたんじゃないか、という風な感じなので、恐らくこのあたり、海水浴場のあたりというか、このあたりに降りていたと思います。」
(清水歴史探訪より)
「今の陸上の飛行場でしたら、当然滑走路があって、それからターミナルビルがあったりなんかするところもあるんですが、当時はそういったターミナルのようなものもなかったんでしょうか。」
「そうですね。ほとんど水上飛行機は、船が着くような感じなんですよ。それで、下田の方も武ガ浜っていう海水浴場のところにそのまま着いているという風な感じだったものですから、わざわざそういうターミナル的な何か乗り降りするのに必要というのではなかったようです。
本当に船に乗るのに例えば必要な『渡し板』みたいなものがあれば、『濡れないで乗れますよ』みたいな、そのぐらいの程度のものだったと思うんですよね。」
(写真)水上飛行場
「今この海水浴場の所は、水上バスの乗り場があって、桟橋が出ていて、その他は単なる砂浜になっていますけれども、この風景は同じだったんでしょうか。」
「そうですね、恐らく当時の状況とはほぼほぼ変わっていないと思うんですよね。波もすごく穏やかですし、着水するには難しいところではないと思いますしね。
条件としては、やはりここのあたりじゃないかなと思いますね。それと、町からそんなにね、ここは対岸ですから離れていないし、非常に運用しやすかったんじゃないですかね、こちらの方は。」
「今もこの上ではヨットですとかウインドサーフィンですとか、スポーツをやっている方がいらっしゃいますけれども、水面が非常に穏やかですよね。」
「そうですよね、当時の飛行機ですから性能的には低かったとは思うんですけれども、このあたりだったら降りやすい。やはり波が高いと欠航したりすることも多いと思うんですけれども、こういう風な状況だったらやはり、定期便を運用するにしても安定しているというもので、ここが選ばれたのではないかと思いますね。」
・・・波の音・・・
(清水歴史探訪より)
三保の海から旅客や貨物を乗せた水上機の姿は消え、空との縁(えにし)を結ぶものは、赤十字飛行隊の緊急用滑走路と、カモメやトンビたちの舞う姿ばかりとなりました。しかし、今でも清水上空には民間航空路が設定され、はるかに飛行機雲をひきながら多くの旅客機が行き交っています。
お話は、カメラマンの山口博史さんでした。
清水歴史探訪~
~清水歴史探訪~
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お相手は、石井秀幸でした。
この番組は、JR清水駅近くさつき通り沿いのいそべ会計がお送りしました。いそべ会計について、詳しくはホームページをご覧ください。