第三十一話 清水エア・ガール物語
幻の三保水上飛行場
住 所 :〒424-0901 静岡市 清水区 三保 内浜海水浴場
電 話 :問合せ 054-221-1421(静岡市観光交流課)
交通機関 :JR清水駅→静鉄ジャストラインバス20分、バス停:東海大学・三保水族館下車、徒歩すぐ。または三保行き水上バス28分、三保桟橋下船、徒歩すぐ
駐 車 場 : あり/300台/有料(駐車場により異なる)/民間有料駐車場を利用
目 次
清水に本社があるFDAが現在では、富士山静岡空港と小牧にある名古屋空港を拠点にして、全国に航空路線を設けようとしています。実は、昭和の初期に東京と清水を結ぶ定期航空路が存在していたのです。この当時は、飛行場の整備がされておらず、水上飛行機で東京から清水まで、下田を経由して飛行機が飛んでいたのであります。
東京-清水間の定期航路は、関東大震災をきっかけに開通しました。実は、関東大震災により鉄道路線が壊滅的な打撃を受け、郵便物の配達に支障が出たのです。そこで、『東京航空輸送社』が運営していた東京-下田間の定期航路を延長し、港の近くに鉄道の駅がある清水まで飛行機が来るようになったのであります。したがって、昭和5年に始まったこの定期航路の目的は、郵便配達業でありましたが、翌年からは人も運ぶことになったのであります。
東京-清水間の定期航路には、日本初のフライトアテンダントが登場いたします。この当時は、『~~~ガール』という呼び名が流行しておりまして、フライトアテンダントは『エア・ガール』と呼ばれたのであります。
もしかしたら、この『エア・ガール』は日本初ではなく世界初かも知れません。
昭和6年3月29日、試験飛行が行われました。この試験飛行で、東京からやってきたのが小泉純一郎元総理のおじいさんの小泉又次郎逓信大臣であったのであります。小泉大臣には、小泉元総理のお母さんにあたる芳江嬢も付き添っていたのです。
さて、華々しくデビューしたエア・ガールでしたが、就航1か月にも満たない4月29日、初回分の給料を受け取り全員退社してしまいます。理由は、低賃金・過重労働で、戦後の憧れの職業『スチュワーデス』さんとは大違いですね。
東京-清水間の定期航路があった話をすると、必ず思い出すのが、三保飛行場であります。この飛行場は、日本赤十字社の災害救護用の飛行場で、昭和の初めの定期航路とは関係ありません。この当時は、飛行場の整備が遅れていて、水上飛行機が使われていたのです。水上飛行機の離発着として使われたのは、内浜海水浴場のあたりであります。