「今度は、和室から洋室になりました。」
「ここが応接間と言われている部屋です。この部屋でもやはり、高度な政治的な相談が行われた部屋だと思います。」
「広さにしたら、10畳ぐらいありましょうか。かなり広いですね。」
「そうですね、ゆったりとした洋風のお部屋になっていますね。こちらの机で新聞を読んだりだとか、あるいは秘書の方からいろんな情勢をお聞きしたりだとか、というようなこともされたと思います。」
「一国を動かしていた方にしては、意外とシンプルな机ですね。」
「本当に質素な造りで、自分はもうこれだけ、こういう部屋があれば十分だということで、余分な部屋とか、余分な施設は設けなかったと言われています。」
(清水歴史探訪より)
「お庭の方にも出ることができるんですか。」
「はい、そうですね。こちらがサンルームと言われる部屋でして、この部屋の大きな特徴は三方がガラス張りになっています。気に入られた部屋だそうです。
この部屋にはもちろん、雨戸なんかを閉めるんですけれども、目障りにならないような感じで、うまく格納できるような簡単な仕掛けができていまして、三方を広々と採光を取り入れるような明るい部屋になっています。」
「今、この窓からはお庭が見えているわけなんですけれども、当時もこんな景色だったんでしょうか。」
写真は明治村の写真
(清水歴史探訪より)
「今グラウンドが見えますけれども、グラウンドがあるあたりが海でした。
岩礁があって、正面には三保の松原が見えて、右の方角には日本平の山も見える。それから左の方には、伊豆の山も見える。」
それで、富士山はちょうど後ろになりますので、海に出て振り返ると富士山が見える、そんなロケーションでした。以前の景色というのは、昭和40年を境にして劇的に変わってしまいました。
夏は涼しいし、海水浴もできる。冬は暖かいし、避暑的なところだった、というところがこの土地の特徴だったんですが、その気候的なよさとか自然環境の豊かさを西園寺公望は気に入って、ここに別荘を建てた。
それが大きな理由の1つじゃないかと思います。」