第二十九話 西園寺公望(きんもち)別邸『興津坐漁荘(ざぎょそう)』
興津坐漁荘
住 所 〒424-0206
静岡市清水区興津清見寺115番地
三保山の手線「清見寺前」下車
電話とFAX 054-369-2221
入 館 料 無 料
開館 時間 平 日:午前10時 ~午後5時
土日祝:午前9時30分~午後5時30分
休 館 日 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
年末年始 (12月29日~1月3日)
目 次
いつもですと、いきなり現地を訪ねるのですが、行く前にパンフレットが入手できました。行く前にパンフレットで興津坐漁荘についての説明をさせていただきます。おもしろいもので、これを読んだだけで、気持ちはもう興津坐漁荘に行ったような気持ちになってしまいました。
興津坐漁荘は、清見寺の向かいぐらいにあります。この興津の通りには、明治の元勲たちの別荘がいくつもあったそうです。残念ながら今見学できるのは、復元された「坐漁荘」だけであります。のんびりとバスに乗って興津清見寺の停留所で降りる予定でしたが、今回は連れが車で迎えに来たのでやむを得ず車で行ってきました。
坐漁荘という名前は、渡辺千冬さんという方が付けたそうです。その名前は、古代中国の呂商(太公望)が、茅(ぼう)(かや)に坐して漁したという故事によるそうです。坐茅漁荘では長すぎるので、「坐漁荘」と名付けたと思われます。「太公望(こうぼう)」と、西園寺公望(きんもち)と関連付けております。
元老西園寺公望の応接間としては、そんなに広くはないが、落ち着いた感じの洋間とそれに続くサンルームがありました。ここで日本国を動かしたと思うと、感慨深いものがあります。庭からは、昔は三保半島から伊豆にかけての風景が見られたそうです。庭に出て振り返ると富士山が見えますが、この風景は昔も今も変わらないものであります。
坐漁荘では、警察官が24時間体制で警備していたそうです。さらに、家の周りには砂利がひいてあったり、二階の廊下は鶯張りであったり、お風呂場に緊急避難の扉があったりします。しかし、最大の坐漁荘のセキュリティーは、清水の興津という田舎ではないでしょうか。この興津では、見知らぬ人が来ればすぐに分かってしまいます。
二階に上がるとすぐに、鶯張りの廊下になります。「キュッキュッ」というのでしょうか、「ギシギシ」というのでしょうか、わりとやかましい音がしたのでびっくりしました。二階には、居間と次の間の和室が二つあります。下の応接室が明治4年にできる前は、この居間で次の総理大臣を決める会議をしていたそうです。
一階に戻ってきたら、次は女中部屋に案内されました。この女中部屋は、「元老西園寺公望」の本を紹介する際、私が奥さん?として記載したお花さんと最後の女中頭お綾さんのいた場所であります。最も、奥さん?のお花さんは、他の部屋に寝ていたかもしれません。
興津坐漁荘を後にして、事務所に戻ってまいりました。まずは、明治村に行って本物の「興津坐漁荘」を見たいと思いました。それから、やはり西園寺さんについてもう少し知りたいと考え、インターネットで西園寺さんについて調べた後、西園寺さんに関する本を探してみました。その結果、「西園寺公望~最後の元老~」、「元老西園寺公望 古希からの挑戦」の二冊を購入しました。
興津坐漁荘の本物を見るため、わざわざ愛知県犬山市の明治村まで行ってきました。連休中なの思った以上に混んでいて、しかも暑かったので坐漁荘だけ見て帰ってきました。改めて、復興された興津坐漁荘の精度の高さを実感しました。明治村には、平日の季節の良い時に、もう一度ゆっくり見物に行きたいと考えております。
明 治 村
住 所 :〒484-0000
愛知県犬山市内山1番地
電 話 :0568-67-0314
アクセス:
『名鉄名古屋駅』から『名鉄犬山駅』下車 バス20分
犬山駅は東口です。「明治村行」にご乗車ください。
『名古屋「名鉄バスセンター」』・『栄』から明治村行バス(毎日運行!)
購入した2冊の本の「西園寺公望~最後の元老~」は、立命館大学で新入生に配られた本のようです。どちらかというと、公人として西園寺さんが書かれています。これに対し、「元老西園寺公望 古希からの挑戦」は西園寺さんの私生活についても触れております。したがって、「元老西園寺公望 古希からの挑戦」の解説をします。