(清水歴史探訪より)
仏教の立場から宇宙の謎を紐とこうとした『須弥山(しゅみせん)儀』には、現代のそれに勝るとも劣らない、科学・天文学の英知が結集されていました。
お話は、妙心寺派 拈華山(ねんげさん) 龍津寺(りょうしんじ)住職の勝野秀敏さんでした。
清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~
お相手は、石井秀幸でした。
この番組は、JR清水駅近くさつき通り沿いのいそべ会計がお送りしました。いそべ会計について、詳しくはホームページをご覧ください。
人間死んだら、この世からあの世に行くため、三途の川を渡るそうです。一般的には、三途の川は渡し舟によって渡り、その渡し船の料金は六文と決まっていると思いました。
しかし、本来の三途の川は歩いて渡ったようです。すなわち、善人は橋を渡り、罪の軽い人は浅瀬を渡り、罪の重い人は深瀬を渡ると決まっていたそうです。このように渡る方法が三種類あったため三途の川と呼ばれていたそうです。
人間、だんだん楽を覚え、いつの間にか舟で渡るようになったのであります。そして、「地獄の沙汰も金次第」となってしまったのであります。
奪衣婆(だつえば)
奪衣婆は、三途の川のほとりにいて、亡者の衣服を剥ぎ取り、衣領樹の枝にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計るとされております。罪の重い亡者は三途の川を渡る際、川の流れが速くて波が高く、深瀬になった場所を渡るよう定められているため、衣はずぶ濡れになって重くなり、衣をかけた枝が大きく垂れることで罪の深さが示されるとなっておりました。
しかし、時代と供に変化し、三途の川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服だけを剥ぎ取るようになってしまいました。さらに、亡者が服を着ていない時には、相棒の懸衣翁が衣の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るという、簡単には死ねない時代になってしまいました。
なお、うわさでは、奪衣婆は閻魔大王の奥さんだそうです。
秦広王 (しんこうおう)
不動明王の化身(けしん)で、 初七日の王
人がこの世に生れ落ちると、左右の肩に「倶生神」が一神ずつ宿るそうです。 一神はよき事のみを、他の一神は悪しきことのみを一生涯監視しているそうです。秦広王は「倶生神」の報告に基づき、亡者の生前の行いをすべて取り調べ、右手に持つ筆で帳面に記録するそうです。この帳面は順次「閻魔大王」へと引き継がれ、「閻魔帳」と呼ばれているそうです。
初江王(しょこうおう)
釈迦如来の化身で、 二七日(ふたなのか:14日目)の王
二・七日(ふたなのか)目の日、三途の川を渡ると、初江王の調査が待っております。初江王は、三途の川の監視役だそうで、努力したものには賞を怠けているものには罰を与えるそうです。
一番の調査対象は、無益な殺生だそうであります。秦広王からの資料や、衣領樹(えりようじゆ)のしなり具合が調査対象だそうです。なお、どうゆうわけか、初江王は、本当はお釈迦様だそうです。
宋帝王( そうていおう)
文殊菩薩の化身で、三七日(みなのか:21日目)の王
第三の法廷の裁判官は、宋帝王であります。 宋帝王は、ネコとヘビを使って不邪淫戒について裁くそうです。不邪淫戒(ふじゃいんかい)とは、不道徳な性行為を行ってはならないという戒めで、強姦や不倫だけでなく不純異性行為なども含まれます。
五官王(ごかんおう)
普賢菩薩の化身で、四七日(よんなのか:28日目)の王
四・七日28日目の第四の法廷の裁判官は、五官王であります。 生前の罪の重さ、悪業を秤にかけて裁判が行われます。
ここの裁判は、主に不妄語戒(ふもうごかい)の裁判です。不妄語戒とは、嘘をついてはいけないという戒めです。この戒めは難しいです。生まれて1度も嘘をついたことはないなんていう人はいないというのが現実です。女性に『おきれいですね』と平気で嘘をつくのも、話を盛り上げるために誇張したり元気づけにほら話をするのもいけません。努力と成功が結びつかない政治家は、最初から失格です。
一方、「嘘も方便」と言う便利な言葉もあり、私も時々利用しております。
閻魔大王(えんまだいおう)
地蔵菩薩の化身 五七日(ごなのか:35日目)の王
五・七日の35日目、いよいよ第五の法廷の裁判官、閻魔大王の登場であります。さて、閻魔さんは本当に恐ろしい顔で登場しますが、どういうわけか親しみやすいですね。それもそのはず、実は閻魔さんは本当は、あの優しいお地蔵さまだったのです。閻魔さんは、再び罪をつくらせないようにと、目いっぱい恐ろしい顔でがんばっているのです。
また、閻魔さんは人類最初の死者で、極楽浄土の第一発見者。さらに、浄土にふさわしくない悪人を収容するために地下に、地獄を作ったそうです。そして、閻魔さんの最近のお仕事は、浄土へ送るか、地獄へ送るかの審判だそうであります。
変成王(へんじょうおう)
弥勒菩薩の化身 六七日(ろくなのか:42日目)の王
六・七日の42日目、第六の法廷の裁判官は、変成王であります。五・七日の35日目の第五法廷の閻魔様の裁きでほとんど判決が出たのですが、まだ細かいことが決まっておりません。例えば、 地獄界には八大地獄がありますし、畜生界にも虎や鷹、兎や鳩、人間界においても平和な国、争っている国、豊かな国、貧しい国があります。
変成王は、亡者がどこに輪廻転生するか場所を具体的に決定すのです。なお、変成王は未来の衆生を救って下さると評判の弥勒菩薩の仮のお姿だそうで、十王の審理の中では、亡者側の意見や願いなどをわりあい、聞いてくれると評判のようです。
泰山王(たいざんおう)
薬師如来の化身 七・七日(49日目)の王
七・七日の49日目、最後の裁判である第七の法廷の裁判官は、泰山王であります。ここでは、生まれ変わる条件が決定され、六道のどの世界へ生まれ変わるかが最終決定されます。しかし、最終判決を泰山王が言い渡すわけではありません。死者自身が、六つの鳥居を選び、自分で決めるのです。しかしながらどの鳥居に進むかを、自分で選んだつもりでも前世の業により結果は決まっているのだそうです。
六道の鳥居をくぐった瞬間に冥途の旅は終わり、来世が始まるのであります。
まだまだ続く裁判について
49日も終わり、亡者も冥途へ旅立ち来世が始まっているのに裁判はまだ続きます。以下、裁判官と裁判の内容を簡単に記載します。
平等王(びょうどうおう)
観音菩薩の化身 百か日(100日目・99日後)の王
平等王は遺族の貪欲の罪を戒めるそうです。百日法要を行う遺族は、この日一日貪りの心を起こさないように亡者の供養をすれば、自らも来世天上界に行くことができるという事です。
都市王(としおう)
勢至菩薩の化身 一周忌(2年目・1年後)の王
罪の重い死者は地獄に落とされますが、遺族が一周忌法要を心から行うと罪が許されるそうです。
五道転輪王(ごどうてんりんおう)
阿弥陀如来の化身 三回忌(3年目・2年後)の王
都市王の場合と同じく、法要によって救済措置を行うそうです。
十界の掛軸について
龍津寺には、十界が描かれた掛け軸があります。十界(じっかい)とは、人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、六道に声聞・縁覚・菩薩・仏の四を付加したものであります。
まず六道とは、次の世界であります。(ウィキペディアより)
天道
天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。
人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。
修羅道
修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。
餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。
地獄道は罪を償わせるための世界である。
緑覚界
緑覚界とは、さまざまな事象を縁として、自らの力で仏法の悟りの一端を得た境涯です。この二つをまとめて「二乗」と呼ばれます。しかし、二乗が得た悟りはあくまでも部分的なものであり、完全なものではありません。
白隠禅師(貞享2年(1686)~明和5年(1769))
白隠禅師は、曹洞宗・黄檗宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた名僧であります。
龍津寺にも白隠さんは度々訪れた。左の写真は白隠さんが三代昌信公(しげのぶこう)に講話をした台であります。そして、下の写真は、白隠さんが描いた『達磨』と 『太原雪斎(たいげんせっさい)』であります。