(清水歴史探訪より)
「そのまた2年後、明治10年にこの『須弥山(しゅみせん)儀』という、須弥山(しゅみせん)思想を示した模型がですね、明治10年にこちらのお寺に移されています。」
「どこにあったものがこちらに来たんですか。」
「はい。もともと駿府城にあったものになります。作られたのは文政7年、1824年ですね。源直泰(なおやす)という方の、68歳の時の制作であったとされています。作らせた方なんですけれども、円通(えんつう)という和尚さんであろうといわれております。この方はですね、梵暦(ぼんれき)運動、いわゆる須弥山(しゅみせん)思想、西洋の知識に対抗する形でこの世界観を訴えていった和尚さんの代表格の方になります。」
円通(えんつう、宝暦4年(1754)- 天保5年(1834))
円通は仏教の衰退は天文地理の研究から始まると考え、インドの暦学を修学した。その結果、1810年(文化7年)に須弥山宇宙論による『仏国暦象編』5巻を著している。これに対し伊能忠敬は『仏国暦象編斥妄』で反論し、同じく大坂の武田真元も大坂訪問中の円通に論戦を挑んでこれを論破している。
「縮象儀(しゅくしょうぎ)」
仏教宇宙観によると、宇宙空間(虚空)には巨大な風輪が浮かんでおり、その上に水輪が、さらにその上には金輪(こんりん)が浮かんでいる。金輪の中央には須弥山がそびえ立っており、四方には、東勝身洲(とうしゅうしんしゅう)、南贍部洲(なんせんぶしゅう)、西牛貨洲(さいごけしゅう)、北倶廬洲(ほっくるしゅう)の4島があり、我々人間は南方の贍部洲(せんぶしゅう)に住んでいる。この贍部洲(せんぶしゅう)のみを模型にしたものが、写真の「縮象儀(しゅくしょうぎ)」であり、龍谷大学の図書館に一基のみ存在する。
「かなり大きい八角形の今、ガラスがはまったケースの中に収められていますが、このガラスのケースも昔のものなんですか。」
「そうですね。少し時代が下って恐らく作られていったものだろうと思いますけれども、しっかりあつられて作られていますので、その当時のものになります。」
「それで、この『須弥山(しゅみせん)儀』というものなんですけれども、先ほどお話した須弥山(しゅみせん)思想を目に見える形で、また太陽と月の動きもきちんと目に見える形で作られていった天球儀、模型になっていきます。」
「先ほど掛け軸に描いてあった、須弥山(しゅみせん)が中央にあるという世界が立体的に作られていて、その周りをちゃんと星や月や太陽が回るようになっているわけですね。」
「はい、そうです。重錘式(じゅうすいしき)といって、重りが下がっていく、その力を利用して須弥山(しゅみせん)を中心として太陽と月が回っていく、と。それと同時に、真ん中に4本の棒が立っていますが、そこに3つの三角柱が立っていましてですね、山羊(やぎ)とか、それから、ペガサス(天馬)でしょうかね、蟹とかっていう、12星座が描かれています。この12星座も一緒に回っていくんですね。」