第二十八話 龍津寺(りょうしんじ)の須弥山儀(しゅみせんぎ)とは?
拈華山(ねんげさん)
龍津寺(りょうしんじ)
住 所 〒424-0305
静岡市清水区小島町135
電 話 054-393-3028
F A X 054-393-3067
目 次
龍津寺は、興津から山梨県の方に向かって、小島というところにあります。ここは昔、小島藩という小さな藩があったのです。その小島藩のお殿様が江戸にあるお寺の代わりにお参りする『香華寺(こうげじ)』というお寺でした。
しかしながら、古くからのお寺にふさわしく、『須弥山儀(しゅみせんぎ)』や貴重な掛け軸、さらに閻魔さんの一族の像が保管されております。
龍津寺には、インドをクローズアップした天竺図、世界地図を書き表した閻浮提(えんぶだい)図、須弥山(しゅみせん)思想に基づく天動説を示した須弥山図の3つの掛け軸があります。いずれの掛け軸も200年ほど前に作られたもので、驚くほど精巧です。
版画なので、いくつかあっても不思議ではないのですが、京都大学にしか存在が確認されていないそうです。
仏教宇宙天文学によると、世界の中心には『須弥山』という巨大な山があり、この『須弥山』を中心に、太陽や月や星が回っている。『須弥山』の山腹には四大王天(しだいおうてん)が住み、頂上は神様の世界のようです。我々人間は、『須弥山』の南にある『譫部州(せんぶしゅう)』に住んでいるとのことです。世界の果てには、金輪や水輪、風輪があり、地下には地獄があるそうです。
地下の地獄界には、八階層もの地獄があり、一番下が無限地獄だそうです。恐いもの見たさで、一度見学してみたいと思うのは、私だけでしょうか。
和時計の技術を持って作られたという『須弥山儀』ですが、本当に珍しいもので多くの人が、その名前すら知らないのではないでしょうか?私も最初聞いたときには、『しゅみせんぎ』と覚えずに『しゃみせんぎ』と覚え、どんなものか全く理解できませんでした。三味線か何かを利用して作ったものかと思ったわけです。この貴重な『須弥山儀』が清水市内にあるということだけでも驚きであります。
西洋の天文学に対抗して考えられた仏教天文学、その天文学を目に見える形にしたのが『須弥山儀』であります。作った人は、本当にこの『須弥山儀』が宇宙を表すものと信じたのか?それとも単なる興味本位で仏教に関する言い伝えを形にしてみたのか?今となってはよく分かりませんが、かなり精巧に当時の時計技術の粋を集めたものであります。実際に『須弥山』が存在するかどうかはともかく、その思想は今でも研究するのに値するものと思われます。
御本尊のお釈迦様の乗っている台を『須弥壇(しゅみだん)』と呼んで、私たちが座る場所がちょうど人間の住む南譫部州(なんせんぶしゅう)にあたるそうです。そんなお話を聞きながら、龍津寺の中を案内してもらいました。面白かったのは、閻魔大王とその一族の物語です。私も少し詳しくなりました。
そのほか、龍津寺には『十界図』の掛け軸や白隠禅師にまつわるものがあります。
貧乏な小島藩の下級武士、倉橋 格(くらはし いたる)は、生活費を稼ぐため?に、酒上不埒(さけのうえのふらち)という名で狂歌も詠んだり、恋川春町というペンネームで黄表紙といわれるジャンルを開拓した。この黄表紙こそが漫画の元祖であり、恋川春町こそが元祖漫画家である。うわさのよると、当時の松平定信の文武奨励を風刺したため、呼び出しを受け自殺したとのことである。
いずれにせよ、元祖まんが家が清水から生まれたことは喜ばしいことです。