第二十七話 幻の羽衣木橋と最勝閣
羽衣木橋と最勝閣
羽 衣 木 橋 現在の静清浄化センターからカナサシ重工の近くまでの間
静清浄化センター
所在 静岡市清水区清開一丁目1番1号
電話 054-336-3810 (静清浄化センター)
株式会社カナサシ重工
所在 静岡市清水区三保491番地の1
電話 054-334-5151
電話 054-334-5151
最 勝 閣 現在の日本軽金属㈱清水工場
日本軽金属㈱ 清水工場
目 次
明治43年、田中智學の国柱会本部『最勝閣』が大阪から移築されました。この移築と前後して、清水巴川の南岸側から三保の『塚間』にかけて、『羽衣木橋』が架けられました。では、『最勝閣』と『羽衣木橋』は、どこにあったのか? さらに、『国柱会』とは何者なのか? 今では、死語となった『八紘一宇』とは?
昔は『向島』と呼ばれた巴川の東側にある『日の出埠頭』から、昔は海であった『築地』を通り、幻の『羽衣木橋』に向かいました。 道中、『羽衣木橋』に関係の深い「国柱会本部の最勝閣」のことや、『国柱会』に関係のあった宮沢賢治や北原白秋をはじめとする数々の著名人がが渡った『羽衣木橋』について、思い描きながら散策いたしました。
幻の木橋『羽衣橋』に向かって、現在の『羽衣橋』を渡って行きました。清水の地形は、江戸時代から明治、大正、昭和に入ってからも変わっていったそうです。特に清水波止場や巴川の河口は、産業の発展と供に大きく変貌してまいりました。昭和の時代までは清水港線があり、この巴川口には真ん中が上下する昇開橋がありました。時代の流れと自分自身の年齢を感じながら、ゆっくりと目的地に向かって歩いていきました。
幻の『羽衣木橋』の西のたもとは静清浄化センターの中にありました。この静清浄化センターから三保の方面を見ると意外と近くに三保があることが分かりました。この静清浄化センターから伊藤鐵工所を通って『羽衣木橋』の取付道が通っているのです。
確認のため取付道の一部を、伊藤鐵工所の裏門から確認してきました。三保が富士山世界遺産の一部になったのを機会にもう一度『羽衣木橋』に代わる橋をつけてみたら面白いと思います。
幻の『羽衣木橋』の東は現在、カナサシ重工があります。クレーンがいくつも見える手前の植木のところが、『羽衣木橋』の東の端だそうです。
実際に、その場所に行ってみましたが、立入禁止となっており、太陽光発電の敷地となる予定のようでした。逆に観光名所として市民が自由に立ち入りできる公園として活用したらどうでしょうか。
さて、『羽衣木橋』ができる時、同時に『竜宮城』と呼ばれた国柱会の本部『最勝閣』が完成しました。この国柱会は、日蓮主義を標榜する田中智學先生の率いる宗教団体であります。『羽衣木橋』を造るのに恐らくこの『最勝閣』の建設が関連したと想像されます。『羽衣木橋』は明治43年から大正12年までありましたが、『最勝閣』は昭和5年まで存在しておりました。
『羽衣木橋』や『最勝閣』のあった場所の近くまで行って、帰ってから改めて、国柱会と田中智學先生について調べてみました。国柱会の教義については、国柱会が隆盛を極めた戦前と戦後の現在とは時代背景が違うためか、私がそもそも宗教心が薄いためか、よく理解できませんでした。ただ、国柱会と田中智學先生が与えた影響の大きさには改めて驚きました。
『国柱会100年史』には、石原莞爾のことが詳しく記載されており、本の中で「『石原は満州侵略の張本人、彼が属した国柱会は軍国主義』という短絡な批判があるが、歴史の事実とはほど遠い。」と石原莞爾を擁護しておりました。
これに対して、同じ法華経信者として、国柱会から多大の影響を受けたと思われる「血盟団の井上日召」や「二二六事件の思想的主導者である北一輝」などは『国柱会100年史』で全く記載がありませんでした。
なお、後半は宮沢賢治について記載したいと思います。
清水市三保にあった竜宮城と呼ばれた『最勝閣』は国柱会の本部でした。その国柱会の思想の中心『日蓮主義』とはどんな思想だったのでしょうか?
「日蓮思想が理解できると昭和史前期の真相がわかる」と書かれている浄土宗の僧侶でもある寺内大吉の著書『化城(けじょう)の昭和史』を読んでみました。
残念ながら、仏教思想、特に日蓮思想について理解の浅い私にはよくわかりませんでした。ただ、わからないなりに『化城(けじょう)の昭和史』の解説を試みたいと思います。
ここで取り扱う主な事件は、満州事変、血盟団、5・15事件・神兵隊・2・26事件・新興仏青・死のう団・国際スパイ事件などであり、登場人物は、石原莞爾・井上日召・北一輝・西田税・相沢中佐・宮沢賢治・妹尾義郎・江川忠治そして、主人公の改作であります。
著者の寺内大吉氏は、、野球、ボクシング、競輪の評論などを行っていた『なまぐさ坊主作家』として有名です。しかしながら、僧侶としての知識を活かして『仏教入門』、『念佛ひじり三国志』、『沢庵と崇伝』なども著作しております。
この本の帯には、『昭和6年の満州事変をきっかけに満州国建国、国内では昭和7年に5・15事件が起こるなど、激動の昭和史が進展する。これらのドラマで重要な役割を果たしたのが北一輝や石原莞爾ら日蓮主義者たちである。新聞記者の改作は彼らの動きを追っていく。改作は京都大学副手の鳥海慶子に教えられて日蓮主義者の社会主義的「信仰仏教青年同盟」の存在を知る。「仏陀を背おいて街頭へ」のスローガンをかかげた「信仰仏青」の指導者妹尾義郎とは...。』と記載されております。
ところで、私は日本史を大学受験で選択しましたが、昭和以降の歴史についてあまり詳しくはありません。現代史は、受験勉強からはずされていたからであります。
本の帯には次のように記載されている。
『昭和8年7月に蒲田日蓮会の一行は「死のう」と叫びながら行進、全員検挙された。警察はこの「死のう」団員に拷問を加えた。彼らは警官を告訴、徹底抗争した。昭和11年2・26事件が爆発した。首魁の日蓮主義者北一輝、西田税は反乱将校と共に処刑された。新聞記者としてこの不気味な宗教思想を追及してきた改作は日米開戦の直前にスパイ容疑で逮捕、投獄される。彼は良寛の「法華転」を読み、日蓮や法華経の研究に打ち込むが、昭和19年死刑に。』
人によっては、『現代社会時代は、激動の時代』と言う人がおります。しかしながら、現代の日本国は『戦争もなく、驚くほど平和な時代であります。』少なくとも、昭和初期のひたすら戦争にまい進した『激動の昭和』とは比較にならない程、平和であります。
本の帯には『昭和史を問うことで、いま、21世紀の日本像が透視される!』と記載されております。驚くほど平和な、平和ぼけした日本の周りでは、きな臭い匂いが致します。
歴史は繰り返すと言いますが、今の北朝鮮や中国の動きを見ていると戦前の日本の模倣をしているような気がしてなりません。本の帯には『日本の昭和史を問うことで、いま、21世紀の中国像が透視される!』と記載されておれば、もっと的を得ていると想像するのは、私だけでしょうか?
私にとっては、どうしても『中近東のイスラム原理主義』や『北朝鮮のチュチェ思想(主体思想)』それに『中国の中華思想』などが、『日蓮主義』と同様に理解できないのであります。そして理解できない思想に対しては、どうしても恐怖感を感じてしまうのであります。
さらに理解できない思想が軍隊に蔓延した時の事を考えると、いつまでも平和ボケしてはいられないと感じるのであります。
日蓮主義というと私共の世代には『創価学会』を思い出される方が多いのではないのでしょうか? 今では、『創価学会』は日本人口の一割近くが信者となっております。また、少なくとも『平和の集団』という建前があり、化城の昭和史に出てくる日蓮主義とは一線を画するものとは思いますが、我々無神論者から見るとよく分からない集団でもあります。
特に、あんな熱心だった登山を上からのお達しで止めたり、かっては社会問題とまでなった折伏をいつの間にか中止したりと、部外者あから見るとわからないことだらけです。