(清水歴史探訪より)
「患者さんが通るところの階段がこちらですね。」
「そうですね。手すりがありますし、ちょっと大正ロマンいっぱいじゃないですか。」
「ちょっと洒落た手すりですね。そうですね、昔の階段ですから、急ですね。」
「急ですね。」
「この階段を下りていきます。」
・・・・階段を下りる音・・・・
「ここの壁は修復の時に全部取っちゃって、子供たちに塗らせた。」
「子供たちが塗ったんですか。」
「そうですね。・・・これ、子供たちが塗ったの。」
「すみっこだけ、ここはわざと残してあるんですか。」
「残してあるんです。」
「こっちは職人さんがやったんですけどね。これ、『竹の木舞(こまい)』というんですけれど、こういうのがないと壁土が落ちてしまうので、こういうのがあるんですけどね。」
「竹を組んであるんですね。」
「そうです。それでね、この壁下地の貫に、子供たちがメッセージを書いたんですよ。」
「はい。」
「何年か経ってこの壁を塗り替えるとき、そのメッセージを開けるということで。この壁がそうですね。」
「この一枚。じゃあ、この壁がタイムカプセルになってるんですね。」
「そうですね。」
タイムカプセルは、次の修復のときに開かれるそうですが、それはまだまだ先になりそうです。
(清水歴史探訪より)
「ここで、歯科医院をやってたのは、いつごろまでなんですか。」
「昭和26年となっていますね。45年までは、住宅として使われていたんですけれども、そのあとはずっと空き家になってたんですよ。私もここの前を通るとき、『このガラス窓がいっぱいの家って、何なんだろう』って思いながら通っていました。それで平成10年ごろ、『町づくり講座』というのが始まって、役場の主催ですよね。この五十嵐邸を何とかしようと、それでやり始めたのが最初ですね。ちょっと入れる状態じゃなかったので、その時に補修と耐震工事をやろう、ということで1年かけてやりました。それから町の人たちと『五十嵐邸の中をお掃除しよう!』、お掃除隊。そのことから始めたんですね。何でも、イベントとして使ってきたわけです。」
「ずっと五十嵐家が所有してらしたんですか。」
「平成10年に蒲原町で土地を買ったときに、『じゃあこの建物は寄付しますよ』、と言われた時点で平成10年に町の所有になりました。」
「今日も色々なものが飾られていますけれども、たくさんの方がお見えになるようですね。」
「そうですね、特に竹久夢二(ゆめじ)展をやると、すごい人数ですよ。」
「見て歩いたお客さんというのは、どんな感想をお話しになりますか。」
「建物はね、『いやあ、すばらしい建物ですねって。これはよく残しましたね。それで、いつもきれいになってますね』って言われるんです。蒲原の誇りですね。」