(清水歴史探訪より)
中の間からは西側の部屋に行くことができます。
「大正7年にこちらへ増築するときに、ここは壁でしたけど、壁をとりまして入口を作って、こちらも大正7年のときに。」
「中の間の一部の壁を開けて、増築したわけなんですね。」
「だからこれが、明治の柱、それでこちらが大正7年の柱。」
「柱が2本になってしまった、というわけなんですね。」
「それでこちらは、家族の客間とか寝室なんかに使われている、家族の部屋ですね、ここはね。ちょっと豪華で欄間は近江八景であったり、天袋が金箔で描かれているとか、この床柱、本当にいい材木を使っているようですよ。」
(清水歴史探訪より)
「金箔なんですね。この天袋の。」
「そうですね、大正7年というと、今から97年か8年経ちますけど、色があせてないじゃないですか。華やかな天袋に対して、地袋(じぶくろ)っていうのがあるんですけれども、これは墨絵になっています。上が派手で、下へ行って地味。対照的なものを使っていますね。」
「はい、お庭がありまーす。お庭には、蔵(くら)が二棟、左の蔵が漆喰の壁、一部なまこ壁、木造の蔵、右がコンクリートの蔵です。昭和5、6年ごろと聞いてます。」
「このお庭に出るところのガラス戸が、これが今のものと全然違いますね。」
「そうですね、手作りガラスですね。波打っていてすごくきれいです。」
「開け閉て(あけたて)したときの音が違いますね。」
「そうですね。」
「このガラスは今はちょっと珍しいんですけれども、手に入るんでしょうか、まだ。」
「(手に)入らないですね。ほとんどこの家(うち)はガラス戸で、雨戸がないわけです。でも、台風が来ても風が吹いても、割れたことがないということですね。」
「古いけれども、丈夫なんですね。」
「そうそうそう。」
「桟(さん)の部分も全部これ、木ですね」
「木です。今はもうサッシで大きくなっているけど、こういうガラスは珍しいですよね。それで、この鍵、みなさん珍しいと言うんですけれども・・・」
(清水歴史探訪より)
・・・・ガラス戸の鍵を開ける音・・・・
「ねじ込み式ですね。」
「『なつかしいねー』なんてみなさんおっしゃいますけどね。」
「この三角の屋根が、ポンプ小屋ですね。2階が治療室で、歯医者さんというのはお水をたくさん使いますよね。それで、当時はまさか汲み上げていくわけにいかないから、電動で上げてますよね。大正3年にはこれを使っていたんですね。」
「当時は近代的な設備ですね。」
「そうですね、大正3年に外国製ものを使っていたというのは、ものすごく先進的なものであって、すばらしいと思いますけどね。」
「当時、水道というのはまだ。」
「蒲原町に水道が敷かれたのが、昭和32年。でもここの家で歯医者さんやったのが大正3年、だから井戸の水をポンプで2階へ上げていたということですね。」