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2.町家(まちや)造りだった建物の中へ
^^故五十嵐準歯科医師
 (清水歴史探訪より) 

 「こんにちは。もともとはどういったお宅だったところなんですか。」  

 

「歯医者さんなんですよね。大正3年から歯医者さんをやっているお宅なんですけれども、今は静岡市の持ち物ですね」

 

「今はNPOの皆さんが管理してらっしゃるわけですね。」

 

「そうですね、はい。」

 

「この建物なんですけれども、この蒲原地区の中でちょっと変わった外観のようなんですが。」

 
(清水歴史探訪より)
「はじめは町家(まちや)造りとして建てられたようですよ。ここに廊下がありますけど、これは通り土間になっていて、通り土間に沿って部屋へ続いているのが町家造りなんです。今は洋館になっちゃってますけれどもね。そのあと、西側に建て増ししたり、東側に建て増ししたりして、明治・大正・昭和の建物なんですけども、それが一体化して今の五十嵐邸をかたどっています。今、ここに私たちが立っているところが明治初期ですね。そして西側へ大正7年に増築して、それから東へ昭和13~14年ごろ建て増しして、三代、明治・大正・昭和の建物になってます。」

「今、町家造りというお話がありまして、通り土間という言葉も出てきましたけれども、まっすぐ廊下が裏の方までつながっているんですが、この構造なんですか。」

町家づくりについて

 

 町家とは町人の住宅であります。町家は、入口を入るとすぐに土間で、そこにせいぜい2部屋がついた長屋とは違い、町家の間口は2間から3間ほどであったものの、奥行は20間ぐらいは普通にあったといわれます。表から奥まで「通し土間」という土間を通し、一方に部屋をほぼ一列に並べた間取りが標準的でありました。

 実は、案内人の吉田ふみ子さんのご自宅が、典型的な蒲原宿の町家づくりでした。写真に掲載させて頂きます。

(清水歴史探訪より)

「そうですね、この廊下が土間だったというのが分かるところがあるんですが、ここに鴨居があった跡があるんです。」

「あっ、柱のところにふさいだ跡がありますね。ずいぶん低い位置。」

「そうですね。だからこれが廊下をとっちゃうと、土間になっていますので、土間から計ってこれがちょうどいい高さ。」

^^今は廊下、昔は通り土間。

「この通り土間というのは、外からどんどん人が通っていたとお話を伺ったことがありますが。」

「そうなんですよね。でも人が入るのは店の間まで。ちょっと親しくなると中の間まで、奥へ行くほど私的な空間になるんです。初めての人は店の間ぐらいで『ごめんください』と入れないんですよね。でもちょっと親しくなると、中の間まできて『いる?』っていうようになるんですよね。」

「はい。今は通り土間のところは廊下になっていますけれども、そこから一段上がって、まず座敷ですね。」

「はい、店の間です、これ。店の間というのは、街道に面して一番最初のお部屋が店の間です。」

「お店の『店』という字を書くようなんですが。」

「そうです。だから昔は商売やってる家や、この裏で物を売ったりとかっていう家もあるし、店の間というんですよね。」

「ここは6畳間ぐらいの大きさなんでしょうか。」

「そうですね、6畳間ですね。」

「床の間もあるようですね。」

^^^^『格天井』^^と^^『杉板の浮造り』

「ありますね。店の間の見どころというと、やっぱり天井ですね。これ『格(ごう)天井』といって、お寺さんによく見られる天井ですね。格子の天井、『格天井』。そしてこの戸棚のこれ、『杉板の浮造り』といいます。こすると木目が浮き出る、だから『杉板の浮造り』っていう、『浮く』っていう字を書きますね。」

「木目がきれいですね。」

「きれいです。だから、杉板をこすっていくと、こういう木目が出てくるよ、ということですね。」

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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
 3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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