(しみず歴史探訪より)
「浄化センターの中に、プラットホームがあるわけですね。」
「はい、清水港線の巴川口駅のプラットホームが残っています。」
「これは当時のものがそのまま残ってるんですか。」
「プラットホーム自体はのちのちに新しく作り直したものだと思うんですけれども、場所は大体同じ場所でレールはもう引いてあるんですけれども、これは一部新しいものを持ってきているようです。」
「プラットホームの上に桜が植えてあるんですけれども、この桜は、これは当時のものなんでしょうか。」
「巴川の可動橋の場所からこちらのほうへまっすぐ線を引きますと、だいたい線路位置がまっすぐつながっておりますので、当時のものがそのまま植えられているものと考えられます。
ただし、プラットホーム自体はもうちょっと長かったものをだいぶ短縮していまして、暗渠(あんきょ)となっていますところまで、だいたいホームが延びていました。」
「この敷地の外までホームがあったんですね。」
「そうですね。前後に相当長かったホームがつながっていました。」
「駅名表なども立っていますけれども、これも復元でしょうか。」
「そうですね、オリジナルの駅名表はフェルケール博物館の中に保管されておりますので、こちらのほうは展示を新しく作り直したんだと思います。静岡県清水市というのがいいですね。」
巴川口駅を出た清水港線は、国道150号線と海の間の倉庫街をすり抜けるように走っていました。
「『清開3丁目4』という町名の書かれたところですね。」
「ここは第2清開踏切りということで、こちら右側に若干土地がありまして、こちら側も引込み線が1本延びていました。踏切を渡りますと、現在も工場がありまして、そこの下を見ますとプラットホームが今も残っていまして、昔そこに貨車をくくりつけて荷役のほうをやっていました。」
「倉庫の前のところがちょっと一段高くなっている。あれがプラットホームだったわけですか。」
「はい、プラットホームが、手前側が一部残っています。」
「このプラットホームは、今はたぶんトラックの積み込み用に、そのまま使われているようですね。」
「そうですね、トラックの高さにちょうど合わせるような形で、アスファルトも嵩上げ(かさあげ)されていますので、使っている方もいます。」
(清水歴史探訪より)
国道沿いに出た清水港線の跡地は、自転車道と遊歩道に整備されて、三保へと向かっています。
「ここから三保駅までずっと自転車・歩行者道が整備されて、歩きやすくなっています。」
「ちょっと広くなっていますけれども。」
「ここは2010年6月までフェルケール博物館の屋外展示場に入りまして、自分たちが今現在保存しております清水市内線65号とスハフ42という昔の清水港線の客車、あと入れ替え用の8tのスイッチャーが置いてありました。」
「今その車両はどうしたんでしょう。」
「はい、フェルケール博物館のほうが要らない、と処分する話が出ましたので、自分たち保存会の清水鉄道遺産保存会のほうで引き取りまして、いま富山県のほうに置かせてもらっています。」
「富山に行ったのはどの車両ですか。」
「はい、清水市内線の白に赤いラインが入った路面線の清水市内線の車両です。富山県の伏木ヤードのところで置かせておりまして、年何回か修復作業のほうを行っています。」
「このあとは、どんな計画になっているんですか。」
「すでに5年が経っているんですけれども、早めに作業を終わらせて、清水のほうに持って帰ってしかるべきところに保存したいと思っています。」
(清水歴史探訪より)
国道150号線沿いに保存されていた清水港線の車両は失われてしまったようですが、一緒に保存されていた静岡鉄道清水市内線の路面電車は、清水鉄道遺産保存会の手によって大切に守られています。
さて、線路の跡地は駒越の交差点近くで三保へと進路を変え、道路を離れてゆきます。海側にヨットハーバーが見えると、まもなく折戸駅のあったところです。