(清水歴史探訪より)
現在、このテルファーは、その歴史的・文化的価値が認められ、国登録有形文化財のほか、日本機械学会の機械遺産や静岡市の景観重要建造物にも指定されています。
「国内でも有数の規模だったわけですね。」
「そうですね、テルファークレーンはこちらと同じ形の物は、神戸と名古屋とこちらの清水、3基しかなかったもので、他の2基はもうすでに撤去されているもので、清水のものは唯一現存する貴重なものとなっています。」
「このテルファークレーンが活躍していたころの清水港線というのは、黒字路線だったわけですね。」
「そうですね、木材や石炭輸送に始まり、昭和30年代が一番やはり貨物が多かったということで、そのあたりまでは少なくとも黒字路線で活躍していたのではないかと思います。」
ここには、当時の岸壁の一部も残されています。
「テルファーの真下、海につく部分が1ヶ所ありまして、こちらが当時の岸壁が唯一現存している部分になります。清水駅が若干埋め立ててしまっているんですけれども、昔はこちら斜めの位置になっているんですけれども、楔形(くさびがた)の石を、台形のような石ですかね、がありまして、そちらを岸壁に打ち込んで斜めの岸壁をつくっていまして、艀(はしけ)という船を持ってきまして、そちらのほうを着岸させて、木材と石炭の積み下ろしに使っていたという話を聞いています。清水港の中では意外とこの部分は貴重なのではないかと思っています。」
清水港(みなと)駅から
ドリームプラザを過ぎると、清水港線のレールは日の出埠頭の倉庫街の中に毛細血管のように広がっていました。
「日の出7丁目という、完全に倉庫街の中に入ってきました。」
「岸壁のほうにあるこのオレンジ色の倉庫が2軒ありまして、これは古い倉庫なんですけれども、そちらの方にだいたい線路が3本ありまして、それが清水埠頭の倉庫側にずっと延びていました。そこから分岐する形で1本道路を渡りまして、東洋製罐のほうに昔1本入った線路もありまして、その線路の跡がアスファルトの舗装し直した感じは今も残っています。」
「目の前に、ちょっと道路に対して斜めの線が入っている、ここのあたりですね。」
「はい、そこが昔、引込み線の線路が埋まっていたあたりだと思います。」
「ちょうどこの日の出埠頭のところは、北のほうからマリンターミナルがあって県の倉庫が2棟続いて、さらに倉庫が続いているわけなんですけれども、このあたりに何本も線路が入っていたわけなんでしょうか。」
「はい、倉庫の目の前に2~3本入る形で線路が延びていました。」