第二十五話 清水港線の思い出
旧清水港線 旧三保駅跡 三保ふれあい広場
住 所 静岡県静岡市清水区三保
場 所 の 説 明
旧清水港線は、清水駅構内から三保まで続いていた。
旧巴川口駅から旧三保駅にかけては、旧路線跡が自転車道と歩行者道として整備されている。『三保ふれあい広場』ではかっての鉄道車両や機関車が保存されている。
しずてつジャストラインの三保車庫前からすぐ
目 次
現在の清水駅の駅舎が完成したのが、平成15年(2003)6月22日。清水駅は橋上駅舎となり、西口(江尻口)と東口(港口)ができました。しかし、しかし三保線(正式には清水港線)があったころは、地上駅舎の清水駅の入り口は西口の一か所だけで、地下通路か二階通路を通って東海道線のたった一つしかないホームに行きました。そのホームの南端から清水港線のホームへ歩いて渡ったのであります。
清水駅から清水港駅までの間で、清水港線の記憶があるのは島崎の踏切だけであります。ストックトンブリッジと清水港線が接触するところも見たはずなのですが、記憶がありません。
清水港線が廃止されてから完成した『遊歩道と自転車道』は、名前はなんというかわかりませんが、犬の散歩で時々利用しております。清水港線の頃は、清水港駅の周辺は『無用の者、立入を禁ず』といったぐあいで、一般市民はほとんど縁がありませんでした。
清水港駅んの跡地が『エスパレスドリームプラザ』に変身しましたが清水埠頭駅の跡地は『浪漫館』に変身しました。あまり清水市民に縁のないものから、清水市民に親しみやすいものに変貌した途端、清水の人口が減少の一途であります。
港湾工業で栄えた清水が、商業観光都市に変貌するのは、大変ですね!
清水港線が活躍した頃が、清水の栄光の時期でした。
清水埠頭駅から巴川口駅までの名物は可動橋です。この可動橋は清水港線のハイライトでもあり、私も実物は何度か見た記憶があります。清水港線の可動橋は昇開橋(しょうかいきょう)と呼ばれる橋桁がそのまま上昇する橋であります。
旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋やアメリカ、ミネソタ州ダルース市のエアリアル橋などが有名で、前者は日本国の重要文化財に、後者はアメリカ合衆国の国家歴史登録財に指定されております。
清水港駅のあったドリームプラザからこの巴川口までは、再開発が進み、清水港線の跡地がよくわかりません。しかし、巴川口駅から折戸駅に向かう途中の国道150号線(清水から浜松)に出た所から三保街道と呼ばれる県道199号の三保駒越線にかけては、自動車道と遊歩道に整備されて、清水市民のためになっております。
かって、自転車で自宅からこの道を通って、昔の三保駅までサイクリングに励んだのは10年以上も前になります。
折戸駅から三保駅までは、完全に三保街道から離れ、遊歩道+自転車道+広場といった感じで清水港線の跡地が整備されております。残念ながら清水港線には乗ったことがありませんが、この道はかって私がサイクリングで愛用した道であります。この前に、ここに来たのは10年以上前ですが、さほど荒れておらず、あいかわらず市民の憩いの場となっていました。
世界遺産の三保の松原よりもこの道の方が、歩いて気持ちが良いです。是非、一度だまされたと思って、来てみてください。
清水市民に親しまれた『清水港線』ですが、残念ながら一度も乗車することがありませんでした。遊歩道や自転車道に生まれ変わってからは、なじみやすいものとして10年以上前は、時々利用しておりました。
定年退職したら暇つぶしに、散歩に来ようかと思っておりますが、自営業のため定年がなく、次に来るのはいつの日かと思っております。