第二十四話 家康の隠れた「海長寺」の椿
龍水山 海長寺
住 所 静岡県静岡市清水区村松299
電 話 054-334-1959
場 所 東名清水ICから約20分
JR清水駅から車で約10分
目 次
日蓮宗のお寺の数は、5,000以上あるといわれておりますが、本山は全部で56しかないそうです。静岡県には、大本山と呼ばれる富士宮市の北山にある本門寺をはじめ、霊跡寺院や由緒寺院がいくつかあります。
今日は、清水区唯一の日蓮宗本山『海長寺』を訪ねてみました。
海長寺では、葵の御紋を使うことを徳川家康より許されております。これは、家康が武田信玄の残徒今福丹波守(いまふくたんばのかみ)の襲撃から逃げ、海長寺の椿の群生に隠れたことに起因しております。海長寺の住職によって難を逃れた家康が六石の椿の御朱印と葵の御紋の使用許可を得たそうであります。
したがって、海長寺には葵の御紋があるのです。
明応6年(1497)、海長寺は震災に遭い、この時の記録を九世日海上人が『日海記』に記録しております。この『日海記』によれば、震災の惨状、津波の被害などが分かるそうです。今でも専門家の方が調査のために見に来るとお聞きしました。
家康の隠れた椿から数えて4代目となる椿が今でも海長寺の庭に咲いております。ひときわ大きな椿ですが、初代の椿はもっと大きかったと予想されます。さらに、当時の海長寺は40,000坪の敷地を誇っておりました。どの程度の広さか見当がつきませんが、敷地内をくまなく探すには相当時間がかかったものと思われます。
参考までに、東京ドームを調べたら面積が14,000坪ほどでした。したがって、東京ドーム約3個分の大きさになります。サッカー場の面積が2,000坪強ですから、サッカー場20個分くらいとなります。
本能寺で家康を待ち伏せしていた「久能城の城主今福丹波守」は、家康を海長寺まで追い詰めたものの、探すことができず、杉原山で自殺したとされております。
杉原山は、今では清水から見た一番景色のよい場所として、ドイツ文学者の高山樗牛(ちょぎゅう)が讃えております。一度、夜景を見に行かれることをお勧めします。
さすがに、海長寺は日蓮宗の本山であるだけあって、たくさんの宝物が聖宝殿で保管されておりました。特に、日蓮上人のご直筆の曼荼羅が残っています。仏教関係者だけでなく、私ども庶民にとっても貴重なものと感じられました。
一度、清水に住んでいる方には貴重な資料を見せてもらうと多大なご利益があるものと思われます。
天神様といえば、福岡大宰府天満宮が有名であります。ご存じ菅原道真公を祀ったところであります。この天神様は、人形作りの聖地静岡では、静岡天満宮で『駿河天神』として祀られています。
しかし、神社ではなく寺院で天神様を祀っているのは、恐らくこの海長寺だけではないでしょうか。
「海長寺」に行ったお陰で、少し日蓮宗に興味を持ちました。一度、静岡にある日蓮宗の大本山「北山本門寺(富士宮市)」に行ってみようかと思っております。なお、日蓮宗の総本山は身延山久遠寺ですが、昔行った記憶がありますが、もう一度これを機会に訪ねてみようかと思います。静岡からは身延線が出ており、直行便で約1時間20分で到着できます。皆様も、これを機会にぜひ身延山久遠寺を訪ねてみて下さい。