(清水歴史探訪より)
清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~
毎月第二土曜日のこの時間は清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
毎日、たくさんの列車が到着しては出発していく、JR清水駅。現在は、東海道本線の途中駅の一つですが、かつて、ここを起点に三保半島の先端まで延びるレールがありました。この地域の失われた鉄道について調査・研究をしている、清水鉄道遺産保存会の青木渉(わたる)さんに、今は無き清水港線の跡をご案内いただきました。
「いつまで走っていた路線なんですか。」
「はい、1984年(昭和59年)3月31日まで走っていた路線です。清水駅を起点としまして、三保半島の三保駅まで走っていた路線です。清水港線はもともと貨物線として生まれた路線ということもありまして、工業地帯を通りまして貨物線が多く分岐している路線でした。そのために、混合列車という形で、客車と貨車を両方連結して走る列車が走っていたのが特徴です。基本的に、清水駅を朝一に出る高校生が乗る列車ですと、客車がだいたい2~3両、それと貨物列車が3~4両つながる形で走っていました。」
「本数は何本ぐらい走っていたんですか。」
「はい、廃止された最末期のほうは、1日1往復という形で朝8時に出発する列車と、三保は夕方4時ごろ出発する列車、その1往復だけでした。日本一本数が少ない路線として、最終末期のほうは有名でした。」
「そうすると、相当な赤字線だったんじゃないかなと思いますが。」
「はい、最末期のほうは国鉄の最初の廃止指定路線のほうになってしまったんですけれども、最初のころは国鉄の中でも営業係数が一番高い路線ということで有名だったんですけれども、やはり貨物輸送の変化によって大きく変わってしまいました。」
「貨物のころは大変な黒字路線だったんですね。」
「はい、清水駅東口から今回スタートするんですけれども、清水駅東口は、もともと貨物ヤード(操車場)が多くありまして、貨車が今コンテナが主なんですけれども、昔は1台1台貨車がつながっておりまして、それを仕分けするための大きなヤードがありました。
貨物ヤードは、現在、清水駅のテルサと駅前等の広場になっているんですけれども、そちらに全部線路がずっと並んでいる形でありました。
清水港線のホームは現在は残っておらず、跡地は清水テルサ(静岡市東部勤労者福祉センター)となっておりその付近からスタートしていました。
当時の貨物の停車場として、東海道本線の本線貨物用に、最低でも8本、清水港線用で本線と機回し線(注)と色々線路があるんで、そちらだけでも10本ほどの線路がありました。」
(注)機回し線(きまわしせん)とは、駅及び車両基地の構内において機関車を付け替えるための線路である。機関車回し線(きかんしゃまわしせん)、機回り線(きまわりせん)、機関車回り線(きかんしゃまわりせん)、機走線(きそうせん)、機関車走行線(きかんしゃそうこうせん)などとも呼ばれる。
機回し線はプラットホームに面していない線路であることが多いが、隣の番線を利用して機回しをする場合など、プラットホームに面している通常の着発線を機回し線の代わりに利用することもある。
「その清水港線のホームには、どうやって渡っていたんですか。」
「はい、清水港線のホームはですね、東海道線のホームの南側の端から構内通路を通って行くしかありませんでした。」
(私の記憶)
確か左側の写真のような通路がありまして、離れたホームに行くしかありませんでした。