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2.波止場浪漫その2(明治)
『波止場浪漫』を読むとしばしば防波堤がでてきます。おけんちゃんの大好きな防波堤が写っています。

6.明治その5 りんご(明治26年:18歳):18歳の秋

^^^^^WEBより

 おちょうは、天田五郎と四国巡礼の旅に出てしまった。初志郎は相変わらず拗ねていた。けんが衝立の陰で帯を解いた時、いきなり初志郎に抱きしめられた。けんは、抵抗したものの遂に初志郎に操を奪われてしまう。

 翌日、おようが現れ、りんごを食べながらけんをからかう。けんは、妊娠のこと、性病のことを心配し、植木と会ってもなにも話が出来なかった。

^^^^^WEBより

 おちょうが巡礼を終え帰ってきても、けんはなにも言えなかった。植木は、横浜に性病治療の医師の応援に行くことになり、次第に清水に帰らなくなる。

7.明治その6 軍夫(明治27年:19歳)

 この年、日清戦争が勃発。植木先生はのぶと横浜で結婚。

 初志郎は唐突に、軍夫として大陸へ渡る決意をする。そして、東京へ出発。

 日本軍大勝利の報に日本中が湧きかえり、清水でも美濃輪稲荷でお祭り騒ぎであった。

清水町役場で行われた日清戦争凱旋兵の写真

8.明治その7 小刀(明治28年:20歳)

 『勝った、勝った』の戦勝ムードの中、初志郎からは全く便りがない。

 清水尋常小学校で凱旋軍人の歓迎会が開かれ、けんも手伝いにかりだされた。度を越した熱狂ぶりに逃げ出して、末廣に帰宅する途中の旧植木医院でけんは初志郎を発見する。戦地に軍夫として行った初志郎は足の筋を切られ、足を引きずるようになっただけでなく、原因不明の頭痛持ちになっていた。

 初志郎はけんに連れられて末廣に帰って来たが、以来長屋にこもりっきりであった。初志郎が清太郎(おちょうの姪の亭主)と喧嘩をした数日後、初志郎は小刀で死のうとしたが、死ぬこともできず、泣いていた。けんは、初志郎に『次郎長の友人の篠島屋が、清水港開港のために働いてほしい』と言っていたと励ますと、初志郎は眼をしばたたく。

清水遊郭(移転直後のもの)
もともとは江尻志茂町にあったが大正15年に巴川橋際に移転。
写真向って左側が千畳楼。コンクリート造りが賀島楼。

9.明治その8 船女郎(明治29年:21歳)

 千畳楼のまつの跡継ぎのイソがけんに、遊郭移転話をしている。話のついでにけんの結婚話。けんはいまだに植木先生がわすれられない。

 末廣で初志郎はけんに開港の話をして、篠島屋へ。その後、空模様が一変。暴風雨になる。初志郎はどこにも見当たらない。

 暴風雨が収まり、初志郎が女といっしょに石本医院へ運ばれたことがわかる。女は初志郎が命がけで助けた、遊女の中でもとりわけ蔑まれてた『船女郎』であった。

 けんが石本医院に行った時には、女はいつのまにかいなくなっていた。

10.明治その9 タコマ(明治32年:24歳)

 明治327月清水港が開港場のひとつに指定された。末廣では明日の開港記念の準備をしていた。けんが買い物かごを下げて勝手口を出た時、納屋で女を見つける。女は、船女郎のシズで、初志郎が連れて来たのだった。

 翌日は雨で開港記念の宴会は中止、けんは初志郎にシズのことを訊ね、おちょうに話すことになった。シズは末廣で家事手伝いをすることになった。船女郎だったシズは変なウワサの対象になり、末廣のお荷物となる。

 明治329月北米のタコマから川口栄次郎が帰って来た。川口の目的は移民の募集だった。初志郎は開港の仕事も終わったので、貿易会社の使いっ走りとしてタコマに行くと行くという。波止場の末廣には女郎がいると評判になり、もう末廣には置いてゆけないシズもおまけに連れて行くという。

 胸がしめつけられる思いのけんと初志郎は、いっしょに歌をうたう。

解説
 
 明治26年の清水次郎長が亡くなった後から明治29年のおけんちゃんが24歳の時まで記載されております。おけんちゃんの青春時代の後半で、おけんちゃんが一番苦しかった時代の話であります。ある意味、この物語の山場でもあります。
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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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