(清水歴史探訪より)
清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~
毎月第二土曜日のこの時間は清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
各地の歴史を紐解くと、現在大きな都市が広がっている地域には、戦国から江戸時代頃にかけて、数々の城が築かれていたことがわかります。
今の清水区中心部に当たる一帯にも、江尻城と呼ばれる城があったと伝えられています。江尻城は、別名小芝城とも呼ばれていましたが、現在のJR清水駅の西側一帯にその縄張りがあったとされています。そこには、二の丸町などといった、お城に関係のありそうな地名も残っています。中でも、城の別名と同じ小芝を名乗る小芝八幡宮には、なにかお城とのご縁がありそうです。
宮司の中跡和史(なかとかずし)さんを訪ねました。
御祭神***********小芝八幡宮パンフレットより
誉田別命(ほんだわけのみこと)
大雀命 (おおささぎのみこと)
由 緒
当宮の御創建は不詳であるが、嵯峨天皇の御代弘仁二年(811年)此処に鎮座すと記録にあり その後室町時代後半までの歴史は定かではありません 戦国の世永禄11年(1568年)12月 甲斐國の武田信玄公が駿府を攻略するに及び同12年1月小芝山(現在の江尻小学校)に江尻城を築城した 当時八幡宮は城内三の丸に鎮座され 城の守護神として多くの武人の崇敬を集めた
宝 物
鏡 藤原光政奉納(天和 3年 1683年)
額 藤原宗時奉納(寛政 11年 1799年)
『魚町稲荷神社』から『小芝八幡宮』までが江尻城ですが、歩くとかなりあります。
「そうですね、やっぱり勝負の神様ですね。ご祭神自体がそういうご祭神ですので、時代劇で出てきます八幡大菩薩と書いたやつがね、ああいうことでやっぱり勝負の神様ということでね、御鎮座なさっておりますけどね。」
「創建はいつごろになるんでしょうか??」
「そうですね、書類によりますと弘仁2年、811年頃にはじめたんですが、それ以前にも形跡はあったと思われます。ただ、文書的に出てきたのは811年ですから。」
「ではそれ以前にもこの地には皆さんの信仰を集めるようなものがあったわけですね。」
「それはひょっとしたら石かもしれないし、なにかわからないですね。いまだにわかりませんから、御神体は。」
「そうなんですか。よく神社の御神体と言いますと、鏡があったりしますが。」
「あれはご神体じゃないんですね、鏡は。自分を映す鏡ですからね、自分自身。その奥に御神体があるんですよ。それがなにかはどこの社(やしろ)でもわからないところですね。お伊勢さんもこの間ね、遷御の儀をやりましたけれども、そういうものが移られたんですが、御神体がね。移られたんですが、それはそれでなにが移ったかわからない。誰も知らないっていうところに神社の良さがあるんじゃないんでしょうか。」
「人の眼には映らないなにかと。」
「そうですね。」
「さて、昔からこの神社に色々と伝わっているものあるということなんですけれども、どんなものがあるんでしょうか?」
「そうですね。鏡ですとか、額ですとか。そういう藤原氏のね、奉納した物がありますよということですね。」
「それはどんなものがあるのでしょうか?」
「鏡は一般的には出せないんですけれども、額は拝殿の中にかかっていますので大分古くなっていますけれども、金箔が剥がれていますけれども、それらしくいい形で残っております。」
「勝負の神様であるという話がありましたけれども、そうしますと藤原氏等もこの神社にお参りしていたわけですね」
「はい、もちろん。やっぱり勝負の時代ですから、勝たなければならないということ。そういうことを祈願するには八幡さんはとってもいい所だったと思いますね。」
現在の社頭
境内は欅、楠、松の大木が繁り 椎、榎、椿、桜等多くの自然林により神域が保たれまさに江尻の鎮守として威厳を保ち多くの野鳥、昆虫が住まう市内では貴重な森です 拝殿は明治28年の造営、本殿は昭和8年の造営であります正面参道の大鳥居は戦時中に取り払われたが 昭和四43年明治百年の記念事業として江尻地区連合自治会、氏子崇敬者の浄財により建立され 又社務所は平成15年御鎮座一弐百年の記念事業として建設されたものであります