さらに笛の添え状には、薄墨の笛がそこなわれていたので文禄四年(1595)に駿河国城主中村一氏式部小輔が補修したという記録がある。
これらによりこの笛は新羅三郎義光伝来のものが源義朝~常磐御前~義経~浄瑠璃姫~久能寺と伝わったことがわかるのである。
常 盤 御 前(1138-?)
常盤御前(ときわごぜん、保延4年(1138年) - 没年不詳)は平安時代末期の女性で、源義朝の側室 。阿野全成(今若)、義円(乙若)、源義経(牛若)の母。後に一条長成の継室。一条能成らの母。『平治物語』等の軍記物や『尊卑分脈』によれば、近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女であったとされている。
平治の乱で源義朝が敗れると、その残党狩りが行われ常盤は子供を連れて逃走しますが、母親が捕らえられと聞いて、助命嘆願のため自首します。平清盛は、常盤御前を子供達の助命嘆願と引き換えに、愛人にしてしまいました。清盛は常盤が妊娠すると興味を失い、一条長成という人物に与えてしまったといいます。清盛の子供は女児で、後に壇ノ浦まで平家と行動を共にしたものの、兄義経に助けられ、京に戻って公家の愛人になったといいます。常盤御前は一条長成との間にも、数人の子供を産みました。
さて、上の子二人は直ちに寺に入れられ出家、赤ん坊だった義経は6歳になったら寺に入れられることと決まられ、鞍馬寺に預けられることになりました。
牛若丸(義経)に母常盤御前が、『淋しくなったら、父上の形見の、この横笛を吹きなさい」と言って渡したのが、『薄墨の笛』であります。
(清水歴史探訪より)
^^^^^^^^^^^笛の音??(謎の音楽)^^^^^^^^^^^
これの内、主な物は国立博物館等で保存されていますが、鉄舟寺にも注目すべき文化財が保管されています。
「笛(市文化財)が伝わっているようですが、これはどうゆうゆかりの物なのでしょうか?」
「源氏の源頼朝、この一族中でやはり、義経、牛若丸と。私が子供の頃はね、牛若丸の笛、義経の笛と言っていましたけれどもね。これは非常に立派な笛で、音もね。非常にいい音が、蘇ってきたというような感じのする笛です。立派ないい音のする笛です。」
「この笛なんですけれども、実際に義経が使った物なのでしょうか?」
「これはね、お寺の言い伝えではね、久能寺縁起というね、このお寺に残った文化財の書物の中に立派にね、この笛は源義経のご寄進があった『薄墨(うすずみ)の笛』ということが書いてあったんです。
『京の五条の橋の上~ ~ 』と、昔はね、歌を歌いながら義経の偉大な力を、みなで称賛したものですよ。それからその義経についてくれた弁慶という武将と言うかお坊さんというか行者というかね。修業をして仏を守ることをした人、こういう人達が、鎌倉時代の戦をしていくわけですからね。この時代というのはすごい時代だったんでしょうね。」
市の文化財として、普段は厳重に保管されているこの笛を見せて頂くことができました。