3.前方後円墳について
円墳とは、円形の古墳。日本の古墳では一番多い形状です。
方墳とは、四角形の古墳。古墳時代を通してつくられていますが、古墳時代後半(6世紀末以降)には、大王の墓も方墳に変わっていきました。
帆立貝形墳とは、前方後円墳の一種で、前方部を短くした古墳です。主に、古墳時代の中期に造られています。
前方後方墳とは、古墳の墳形の一種であり、特に東日本の前期古墳に多く存在する。
前方後円墳とは、円(円墳)と四角(方墳)を連結させたような形で、上から見ると鍵穴の形をしています。代表的なものには、日本最大の仁徳天皇陵古墳があります。巨大な古墳のほとんどは「前方後円墳で、古墳時代の初めから終わり近くまで造られ続けましたが、これは日本独自の形状で、なぜこのような形になったのかはわかっていません。
(清水歴史探訪より)
前の部分が長方形、後ろが円形という前方後円墳の三池古墳には、海に向いている前方部から登ることができます。
「これが前方部になります。」
「ちょうど平らに、四角に。ちょっとグラウンドのような感じですね。」
「そうですね、平らに復元されちゃってます。もう少しこう丸い山なりの形で残っていたんです。ですから上は削られちゃって。実際に復元する時には上はわからない状態です。ですから、発掘をして、この古墳には裾石(すそいし)といって、古墳の周りに石が置いてあるんですね。その石の外側からの角度を測って、この斜面を作ったということです。」
前方部の奥には、さらに高くなった後円部があります。
その中央には、石室などが復元され、古墳の構造がわかるようになっています。
(清水歴史探訪より)
「それから円墳の部分に。さらに高くなるわけですね。」
「それで遺体部(いたいぶ)と言われている遺骸が収まっているのはこの下1メートルぐらいの所に、実際には石棺が入っております。それで割石を積んだ竪穴式石室で、中に割竹形石棺が入っています。」
「割竹形とは竹を割ったような?」
「はい。この組み合わせは大和から東ではこの古墳が最後で、これより東ではいまだに見つかっていません。」
(清水歴史探訪より)
「では大和朝廷方向から来た文化がこの辺りが境目。」
「今の所、この形の物はここから東では見つかっていないとのことです。」
部屋のこの天井の部分なんでしょうか、大きな長方形の石が並んでいるのが見えますね。」
「この石が天井石になります。この石の上にさらに本当は粘土でこれが覆われていて、中に水が入らない様にできていました。万が一、水が入った場合には、暗渠(あんきょ)排水でこの下をずっと通って出るように設計されています。」
「今ちょうど石で溝が、排水溝が造ってありますけれども」
「実際には地下に石で固めた排水溝がずっとあそこまで続いています。」
「本物が埋まっているわけですね。いわゆるパイプのようなものが埋まっているわけではなくて?」
「はい、石を集めてですね。ずっと帯状にあそこまでつなげていくわけですね。そうすると水が入った場合、石と石の隙間を通ってそこへ流れ出る、というような設計になっています。この古墳を復元する時に、雨の量がどれくらいか調べたらとてもその雨の量が多くて、今まで設計していた排水溝では流れきれないということになって、新たな集水桝(しゅうすいます)で埋めたということがあるくらい。昔の人からすると、そういうこともちゃんと知識があったのかな、という感じですよね。」
「昔の下水道技術のようなものがあったわけですね。周りの所に平らな石がたくさん平たく積まれていますけれども、これも当時の物なんですか?」