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1.古墳時代について
仁徳天皇の前方後円墳

(古墳時代)

 古墳時代(こふんじだい)には、日本列島において古墳、特に前方後円墳が造られました。年代で言いますと、弥生時代と飛鳥時代の間、3世紀後半から6世紀まであります。

 弥生時代が紀元前6世紀から3世紀まで続きます。弥生時代には稲作が行われ、邪馬台国の卑弥呼が登場いたします。次に、飛鳥に都が置かれていた時代6世紀末(592年)から8世紀初め(710年)までが、飛鳥時代(あすかじだい)であります。聖徳太子が活躍していた時代であります。

 この中間が、古墳時代であります。古墳の時代は、神話の時代でもあり、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や大国主命(オオクニヌシノミコト)が活躍した時代であります。

 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、敵の放った野火に囲まれ窮地に陥るが、草薙剣(くさなぎのつるぎ)で草を刈り払い、向い火を点け脱出しました。その結果、今でも草薙という地名が清水に残っております。(注)また、日本平は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が平定したから、日本平という地名になったのであります。

 

 (注)焼津市にも同じような話が残っておりますが、清水の方が正しいに決まっております??

 

 もしかしたら、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は今回の三池平古墳の主、廬原(いおはら)氏とも接点があったかもしれません。

 古墳時代の特徴は、日本独自の前方後円墳と埴輪であります。あらゆる手工業が発達した時代でもあり、副葬品も多く出土されております。

最大の円墳である丸墓山古墳
円 墳
 
 古墳時代を通じてつくられ、直径数メートルから百メートル前後で、規模は中・小型のものが多い。墳形が単純なので、時期による形態の変遷は明確でない。墳頂部に墓壙を掘る前・中期のものは墳頂部の平坦面が広いものが多く、後期には土饅頭系が増え、横穴式石室をもつ後期や終末期のものでは墳頂平坦面が狭く、墳高がやや高い傾向にある。

方 墳

 

 方墳は、古墳時代の前期に築かれるものが多いそうです。島根県安来市の大成古墳、造山古墳(1辺60m)が全国最大の規模を誇り、方墳は出雲に集中しているようです。

帆 立 貝 形 古 墳
 
 この形式の古墳には、(1) 円墳に方形の造り出しがつくものと(2) 前方後円墳の前方部が短小化したものとの二種類があるが、実際には判断の困難な場合が少なくない。
八角墳(はっかくふん)
 
 
 八角墳(はっかくふん)は古墳時代の終末期(7世紀中葉〜)につくられた正八角形古墳京都市御廟野古墳(現・天智天皇陵)や奈良県高市郡明日香村野口王墓古墳(現・天武持統合葬陵)などが有名。
双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)
 
 円丘の両側に方形の突出部を持ち、比較的古墳時代前期に見られる。 または、一般的な前方後円墳の後円部後方に、さらに短い方形部を軸線を一致させて付設したものである。厳密にはどちらが正面になるのか明らかでない。

上円下方墳(じょうえんかほうふん)

 

 上円下方墳(じょうえんかほうふん)とは日本列島でかつて築造された墳の一類型、及び近代に築造された皇室陵墓の一形式である。この形式の古墳は二段になっており、下段が方形、上段が円形となっている。極めて稀な形態であり、これまでに6例しか確認されていない。

前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)
 
 前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)は、古墳の墳形の一種であり、特に東日本の前期古墳に多く存在する。また、中国・四国地方にも多く存在し、中でも出雲地方の前方後方墳は古墳時代を通じて築かれていた。
前方後円墳 (ぜんぽうこうえんふん)
 
 前方後円墳 (ぜんぽうこうえんふん)は、日本における古墳の一形式で3世紀から7世紀頃にかけて盛んに造成された。平面が円形と方形の墳丘を組み合わせた形状は、日本独特の特徴であり、出現期より規模の巨大さを特徴としている。前方後円墳は日本列島の広範囲に分布している。
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