7.高源寺を後にして
(清水歴史探訪より)
古くからの歴史が凝縮された高源寺。今でも梶原景時を偲んでこの地を訪れる人は絶えません。
「最近は女性の方で、歴史の好きな方が多いということなんですが、そんな方もいらっしゃるんでしょうか?」
「時々いらっしゃいます。梶原景時公の子孫を名乗られる方もお参りされることもございます。とても遠方からでもですね、おいでいただくこともございます。熱心に梶原景時公に思いをはせていらっしゃるようであります。まあ歴史にもしはありませんけれども、梶原景時公、もし京都にたどり着いていたら鎌倉幕府、また後の鎌倉幕府でも北条氏の時代、もしかしたら大きな変化があったのではないかと思います。」
もしも梶原一族が、無事この地を通過していたら。その後の歴史は大きく様相を変えていたかもしれません。そんなもしもを想像してみたくなる、時代の物語を秘めながら、高源寺の櫓時計は、ゆったりとした時を刻んでいます。
お話は、臨済宗妙心寺派、高源寺副住職の守永俊光(しゅんこう)さんでした。
清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~
お相手は、石井秀幸でした。
この番組は、JR清水駅近く、さつき通り沿いのいそべ会計がお送りしました。いそべ会計について、詳しくはホームページをご覧ください。
梶 原 山 へ
高源寺を後にして、梶原景時が自害したという「梶原山」へ行ってみました。梶原山は、旧静岡市と旧清水市が市境に共同で整備した公園で「梶原公園」と呼ばれております。瀬名~長尾と清水大内に跨がる、、標高300mの山頂からは眼下に市街地が一望でき、梶原山公園と一本松公園をつなぐ約1kmの尾根はハイキングコースとして人気があるそうです。
私は車で行きましたが、行くまでの道がわからず、苦労しました。
各 地 の 梶 原 景 時
三門梶原施餓鬼会(鎌倉の建長寺)
鎌倉の建長寺では、昔々、施餓鬼会に遅刻した梶原景時の亡霊が現れた為、通常の儀式に追加した景時用の施餓鬼会が今も行われるそうです。施餓鬼会とは日本では奈良時代から行われている仏教行事で、多くはお盆の時期に行われます。餓鬼道に堕ちた衆生に浄水や食べ物を供えて追善供養するというものであります。
毎年7月15日の三門梶原施餓鬼会、梶原景時に興味のある方は、是非ご覧ください。
毎年7月15日の三門梶原施餓鬼会、梶原景時に興味のある方は、是非ご覧ください。
梶原景時の菩提寺 万福寺
大田区南馬込の万福寺には、梶原景時の墓と伝えられる五輪塔や、源頼朝が景時の子景季に与えたという名馬「磨墨(するすみ)」の像が安置されております。曹洞宗で本尊は阿弥陀三尊だそうです。
阿弥陀三尊、馬具、木造梶原景時座像は大田区の文化財に指定されているそうです。
阿弥陀三尊、馬具、木造梶原景時座像は大田区の文化財に指定されているそうです。