「掛時計」は、柱や壁に掛けて使う。下のひもの先には錘(おもり)がついていて、その重さで動く。
「櫓時計」は、時計本体の下のひもと錘が板で覆われていて、櫓のような形をしている。掛時計と同様に、錘の重さで動く。
(清水歴史探訪より)
-----------コチ、コチ、コチ、コチ(時計の音)-------------------------
高源寺には、今では珍しい江戸時代の時計も残されております。
「本堂の隣にあります書院にお邪魔しているんですけれども、こちらには大きな時計がありますね。これはどういう物なんでしょうか?」
「はい、これは和時計でありますけれども、櫓時計と申し上げます。下の所が分銅が入っている櫓(やぐら)状になっております。上の方は時計、になっております。十二支が数字として表されております。」
「形なんですけれども、下の部分、そうですね4分の3ぐらいが大きな四角錐の様な形になっているんですね。」
「はい、現在久能山、東照宮の方に立派な時計がございますね。そちらは家康に献上されたとして、博物館の方に飾られておりますけれども、こちらは日本で造られた江戸時代後期の櫓時計であります。時計の有名な愛知ですね。愛知の方でこちらは造られたということで、伝えられております。」
「今その櫓の部分を開けて頂いているんですけれども、大小形の違った分銅が下がっていますね。」
「そうしますと、目覚まし。現在の目覚ましのように鳴るわけですか?」
「はい、目覚まし自体は鳴らし方ははっきりわからないものであります。こちらの櫓時計はですね、昔の書院の軒下にですね、上の部分、金属部分ですね。直接時計に当たる部分だけ残されてしまわれておりました。下の木の部分は朽ち果ててしまっておったものですから、こちらは復元した物であります。年代を特定できる物として、時計の金属部分の裏に造った方のお名前が彫られております。」
「そして文字盤なんですけれども、現在の時計とは全く違った文字盤ですね。」
「はい、子の刻ですとか。時代劇で出てくる時刻ですね。そちらの方の物として、子、牛、虎、卯と。十二支の文字盤になっております。ご覧いただくとわかるように、針が一本しかないものですから、時間を表した物だけと思われます。現在ほどやはり、何時何分何秒というような形の言い方はなく、日暮で表したり、時計が出てきてようやく、というような形で時刻の方が表されたのではないかと思います。」
-----------------------コチ、コチ(時計の音)-----------------------
残念ながら、この時計の詳しい由来はわかっていないということです。