蝉しぐれの中、朝顔の鉢植えを抱えた人達が次々とやってきました。朝顔の品評会に参加する人達です。
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「やっと咲いた!」(おばちゃん、その1の声)
「ほんとに、今日、咲いただよ」(おばちゃん、その2の声)
「きれ~いに、咲いた」(おばちゃん、その3の声)
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「これもあの、350年になるんですけれども、当山の東のすぐの方にあるんですが、その墓地に浄瑠璃あるいは歌舞伎などで命題として演目として上演されております『朝顔日記』のヒロインの深雪(みゆき)さんと言われる方のお墓が江戸時代からずっとございます。」
「字は深い雪とかいて深雪さんと。いまちょうどその墓地においでいただいているんですけれども、墓地の隅の方に三つの石塔が建てられていますが、こちらなんでしょうか?」
「そうですね、この三つございますけれども、この方(深雪、後に朝顔と改名)は駿河の国の清水港の船手奉行山下弥蔵(やぞう)さんの御内室(ごないしつ)ということですから、武家の方々のそのお墓ということで、三つございますが、こうした大きなお墓が残っているわけでございます。」
(注)中央が深雪(=朝顔)の墓で、左右の墓は従者の者と推測される。
(清水歴史探訪より)
「やはり他の方と違って立派に造られているわけなんですね。」
「そうですね、私もよくわからなかったんですが、やはり清水港は昔から大変な要所でございまして、徳川家直属の船奉行ということで、大変なお力を持っていらっしゃったんじゃないでしょうか。」
「かなり苔むしてしまっている石塔なんですけれども、書かれている内容などはわかるんでしょうか?」
「ええ、まあ石塔に書いてございますは、いわゆるお戒名、お名前でございます。もう300年以上も経ちますから、なかなかはっきりしないところもございますが、おかげさまで戒名ははっきりと読み取ることはできるわけです。また、寺には過去帳もございます。照合いたしますと、全くその通りでございますので。まあ、深雪(=朝顔)さんのお墓ということに間違いないだろうと思います。」
「またこのお寺も戦火をくぐったり、色々していらっしゃるというお話でしたけれども、この石塔よく今日まで残ったわけですね。」
「それは私もびっくりしております。境内にあります大きなモチの木やいちょうやら、本堂そのものもこの横にあったわけですが、全焼いたしました。
私は、戦後まもない生まれなのですが、母や或は先代の住職、先々代の住職に話を聞くと、焼夷弾(しょういだん)が直撃していっぺんに燃えたということですから、その中でよく残っていたなと感じが致しますね。
過去には、大地震もあったようですけれども、多少そういうことで壊れたこともあったかもしれませんが、よく修復されて残っているなと思っております。ありがたいと思っております。」
「多少、欠けた部分も残っておりますけれども、立派な姿が残っているわけですね。」
「そうですね、よくこれだけのものを-------。武家の中でも、高い所にいらっしゃった方のご縁のあるお墓ということになるんでしょうね。」
「真ん中の塔が高くなっておりますけれども、2メートル以上もありましょうか。上の方が彫刻されていまして、かなり豪華な形になっていますねおりますけれども。」
「そうですね、やはり正式な五輪、蓮華(れんげ)を配しておりますので。それから真ん中の所に阿弥陀如来のサンスクリットの梵字(ぼんじ)が、刻まれております。その下に官女も掘ってございますので。まさにきちんと手厚く葬られたんだな、ということを感じさせますね。」