第十八話 法岸寺・朝顔まつりの歴史
紫雲山江照院法岸寺
住 所 静岡県静岡市清水区入江南3-33
電 話 054-366-6566
場 所 入江岡から徒歩2分
目 次
法岸寺の住職・鵜飼義昭(うかいぎしょう)さんは、実は私の高校時代の同級生です。鵜飼さんは、最近まで高校の先生をしておりました。私の母校、清水東高校でも教鞭を取っていた時期があります。国語の先生だそうで、もしかしたら、ア!と思う方もいるかもしれません。
法岸寺は戦争で全焼したそうですが、樹齢500年の大楠が裏庭で枝を張っております。「地蔵の寺」として知られており、現在では、松久朋琳の木製の地蔵があります。また、松久朋琳の子が作った観音菩薩もあります。
入江商店街を通った時に、『朝顔まつり』をちらっと、見たことがありました。残念ながら、この時には、『朝顔まつり』の由来は知りませんでした。
今回、初めて『朝顔まつり」の由来を知りました。この朝顔まつりは、350年の歴史があるそうです。実は、法岸寺には、浄瑠璃や歌舞伎であまりにも有名な??「朝顔日記」の主人公、秋月の娘、深雪(=朝顔:本名 久)のお墓があるのです。
これを機会に、毎年『朝顔まつり』に参加してみたいと思っております。皆様方も、是非一度は「朝顔まつり」をご覧ください。
朝顔日記は、浄瑠璃や歌舞伎では、『生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」と呼ばれとおります。かなり長いお芝居です。元々は時代物で全5段だったそうですが、今では、細かく分ける下記のように16段もあります。その内、1と2が大序と呼ばれているそうです。
1.大内舘の段 2.多々羅浜の段 3.宇治川蛍狩の段
4.真葛が原茶店の段 5.岡崎隠れ家の段 6.明石捕船別れの段
7.弓之助屋舗 8.小瀬川の段 9.摩耶が嶽の段
10.大磯揚屋の段 11.薬売りの段 12.浜松小屋の段
13.嶋田宿笑ひ薬の段 14.宿屋の段 15.大井川の段
16.帰り咲吾妻の路草
太字の部分については、本文で解説文の解説をしております。
『朝顔日記』の主人公について、法岸寺の近くに住んでいらっしゃる田辺考次が詳しく調べておりました。『朝顔日記』の主人公は、本名を久と言い、九州の延岡(昔は、県と書いてあがたといったそうです)の生まれだそうです。実父は、秋月家から養子に行った延岡城主の高橋元種(もとたね)だそうです。その後、久(深雪=朝顔)は、秋月種実(たねざね)の養女になったそうです。浄瑠璃では、父は秋月弓之助となっております。
ところで、深雪さんてこんなに美人だったのですね!
秋月家の歴史は、たいへん古く、さかのぼると紀元前生まれの漢の初代皇帝劉邦(左の肖像画参照)の末裔で、応神天皇20年(409年)に渡来したそうです。
子孫の大蔵春実が、平安時代藤原の純友を討伐し九州に所領を与えられた。秋月を氏名にしたのは鎌倉時代で、秋月種雄が秋月性の最初のようである。したがって、秋月種雄を初代とすると、深雪(=朝顔:本名 夕)の養父秋月種長(たねなが)は17代目となる。なお、深雪(=朝顔:本名 夕)の実父は、秋月種実(たねなが)の弟高橋元種(もとたね)である。
16代目の秋月種実は秀吉に負けて、三十六万石から三万石への減封、しかも南方、真鍋へ移動。17代目で、真鍋藩初代藩主秋月種長(たねなが)の時代は戦に明け暮れ、さらに真鍋藩第2代当主秋月種春のときは「上方下方騒動」と呼ばれるお家騒動が起こりました。こから、『朝顔日記』が生まれたのではないかと、田辺孝次さんは考えているようです。
法岸寺は、私と同年齢の戦後生まれの住職によって、より親しみやすいお寺に変わりつつあります。その一つがお寺ライブ、お寺コンサートであります。もともと、お寺は供養の場であるだけではなく、「学びの場」であり「気づきの場」であり「癒しの場」であったと思います。本来、地域コミュニティーの中心にあり、地域になくてはならない存在だったわけであります。法岸寺がより親しみやすいお寺になるよう祈願して、法岸寺を後にしました。