毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
三保半島の先端近く、羽衣の松から砂浜を歩くと、灯台の白いスマートな姿が見えてきます。三保の灯台として知られる清水灯台です。清水港の入口という、海上交通の要衝(ようしょう)で、長年に渡って船の道標(みちしるべ)となる明かりを灯してきました。
----------------------- ザザー(波の音) ------------------------
普段は立ち入り禁止となっている灯台を、清水海上保安部交通課主任航行援助管理官の船水基さんにご案内頂きました。
「今から百年ぐらい前に遡りますけれども、明治の40年代頃、当時の旧清水町長とか、地元の有力者から国に対して灯台の建設を要望したそうです。清水区発展のために要望したそうなんですけれども、当時の逓信省(ていしんしょう)から却下されたようです。その後も粘り強く地元の住民の熱意と努力により、明治44年5月に国費で建設が開始されて、翌45年の2月に落成しました。3月1日に初めて灯火が灯ばされて運用が開始して現在に至っています。102年ですね、今年で。102年の歴史があります。」
「今もまだ現役なんですね。」
「その通りです、まだ使っております。」
「100年前と言いますと、清水港もまだこんなに大きな港ではなかったと思うのですが。」
「そうですね、これから大きくしていこうという地元の熱意があって、国の方に要望したという話が残っております。また、国の方としても、当初却下した理由としては、航行の危ないような所に、優先的に設置するという決まり事があったようです。清水に関してはちょっと奥まったこともあってですね、あまりそれほど危険ではないという風なことから後回しになったようです。」
「それでも当時の地元の人達は、これからここが発展する為にということで強い要望をしたんですね。」
「と思います。直接、お茶を海外に輸出する港にもなっておりました。」
「灯台なんですけれども、構造としてはどんな形になっているんでしょうか」
「はい、日本で初めての鉄筋コンクリート構造の灯台で、学術的な価値にも優れております。原形を保存する必要性から、平成7年度に大きな耐震化の工事をしておりまして、現在に至っております。建物自体は102年前のそのものを使っております。中の電気的な物の機器関係は、その後、電化されております。中にあります鉄製の螺旋階段も100年前のものでありますし、木製の踊り場が3段ほどあるんですが、それも全て100年前の物をそのまま使っております。」
「この清水灯台、性能はどんな感じになっているんでしょうか。」
「光の強さというのは5万㏅(カンデラ)あります。メタルハライドランプという小さな70ワットの電球なんですけれども光力が非常に強くて、5万cd(カンデラ)光を出すことができます。それを今度フレネルレンズ、5等になるんですけれども、割と規模が小さい方なんですが、そのフレネルレンズを通しまして届く距離というのが14海里(1海里=1852m)。ここからですと伊豆半島の土肥港まで大体14海里ありますので、約26キロですね。ちょうどそこまでが気候状況によっては、天候が良ければ届くという風になっております。地上からの高さは18メートル、水面から灯火までは21メートルあります。」