「こちらの方は、今は珍しい茅葺(かや)の本堂となっております。大体天保13年、西暦でいうと1842年になりますけれども、今の本堂が建てられたということです。
元々の本堂は安政元年の安政の大地震が起こり被害をこうむりまして、元々、客棟として使われていたこの建物を本堂として利用するようになりました。。」
「そうしますと、建物は三百年以上」
「そうですね、やっぱ茅葺の葺き替え、またあと畳の入れ替えと、大体20年をきにしておこなっております。」
「ちょうど茅葺屋根の葺き替えが、今年にあたるわけですね。」
「そうですね、23年ぶりに茅(かや)の葺き替えをさせていただくことになりましてね。本当にありがたい限りでございます。」
「この茅の葺き替えというのは、どれくらい期間がかかるのですか?」
「市の文化財になっているものですからね、4月の1日から行わせて頂いておりまして。6月の終わりぐらい、7月の上旬ぐらいまでかかるんじゃないかと思います。」
「作業にはどんな方があたっていらっしゃるんですか?」
「今御殿場市の茅を専門に扱う会社があるんですけれども、その方々が御殿場の茅を持って来てくれて、岐阜の白川郷とか手掛けている職人さんたちが岐阜から来てくださいましてね、今行っております。」
「檀家の皆さんもお手伝いなさってらっしゃるんですか?」
「本当に有難い限りで、毎日7、8名の方が来て、茅の葺き替えの手元の手伝いをしてくださっております。」
「そうですね、この天然記念物に大正13年に指定されている蘇鉄と、開山当時に植えられたサボテンですね。それと、この富士山の景色。大変多くの文化人がね、愛されたわけでございまして。南総里見八犬伝の作者の滝沢馬琴もここから見える富士山の景色についてね、語っている書物もございます。
また明治の文豪でありました高山樗牛(たかやまちょぎゅう)の遺言によりまして、自分はこのお寺の富士山の見えるに高台に眠りたいということで、遺言によって今高山樗牛のお墓がこちらのお寺にございます。樗牛を慕う顕正会(けんしょうかい)という会が発足されまして、その方たちが寄付を募って、樗牛の銅像を造ってありまして、また樗牛の遺言の『吾人は須らく(すべからく)現代を超越させざるべからず(意味:目先のことにとらわれず、こころざしに向かって努力し、立派な人となって今の世の中以上のすばらしい社会をつくろう)』という言葉がございます。それを石碑に彫ってございます。」
「今もお参りに来る方が多いんでしょうか。」
「はい、色々な方が見えられてお参りしております。」
「東山天皇に纏わる物もあるんだそうですね」
「そうですね、東山天皇、このお寺の名前をね、額を下さったのは当時の天皇であります、東山天皇でございます。本堂の真ん中の所を見ますと、当時の東山天皇から賜りました勅額がございますので、本堂の落慶(意味:寺社の新築、修理の完成)が済みましたらね、そちらの額の方も見て頂ければと思います。」