3.全盛時代の清水駅前銀座商店街
(清水歴史探訪より)
清水駅前銀座商店街が一番賑わったころは、どんな様子だったのでしょうか。
「戦後のバラックの状態から、今の様なこういう形になってきたというのはいつごろからなのですか?」
「そうですね、段々とポツポツと鉄筋の本建築になりだしたのは大体30年代から。ミナト市場(みなとマーケット)も結局昭和33年に鉄筋四階建てにしたんですね。そうこうしているうちに『トラヤさん』が建て直したり、『長崎屋さん』が出店してきたり。そして結局、大型店がきて、繁盛するようになってきましたね。」
「一番こう商店街が賑やかだったの頃というのはいつ頃なんですか?」
「そうですね、昭和30年代後半から昭和48年の第二次オイルショックまで。あれが最高でしょうね。」
「その頃の商店街というのはどういう雰囲気でしたか?」
「そう、通行人が多くて、ここから駅前の『大和屋さん』が見えないぐらい。今じゃちゃんと『大和屋さん』が見えるじゃないですか。その頃は、通行人の頭でもって見えなかったんです。」
「そうなんですか、ここから駅前まで100メートル…」
「100メートルちょっと。150メートルかな。でもその距離中が人だかりでいっぱいだったんです。」
「そうなんですか。」
「だからそれだけ購買客がいた。当時は『夜店市』なんかやったりした。清水銀座の方も『おばけ市』とか言う名前で夏にやったりして。そうすると、ごはん食べてから、夕飯食べてからまた出て来たんです。今はもうテレビがあるから、それから客の流れが変わってきたんです。経済の変化ですよね、これ。」