第壱話 蒲原の木屋江戸資料館を訪ねて
目 次
朝8時19分JR清水駅を出発し、新蒲原に8時41分に到着しました。いきなり道に迷い、本来なら5分で行けるところを20分もかかり、『木屋江戸資料館』に到着しました。まずはお詫びから始まり、丁寧に『木屋江戸資料館』を案内してもらいました。道に迷ったおかげで、源義経の守る神社や北条新三郎の墓を見ることができました。『木屋江戸資料館』は現在の東海道ではなく、旧東海道から行くとよくわかります。
本来ならば入れない三階建ての文書蔵に案内していただきました。この蔵はご主人と跡継ぎ以外は入れない蔵だった。まして女性が入るのは絶対に禁止されていたそうです。本日は私だけでなく同行のFMしみずの伏見哲郎氏やアシスタントの八木友美、それに私の家内も三階まで案内して頂きました。予想以上に色々な資料がありびっくりしました。この資料を個人で維持・管理するのは相当大変ではないかと思います。
3.文書蔵の三階へ
三階は畳の部屋です。本当に大事なものはすべてこの部屋に入っていたのではないでしょうか。押入れの中の木箱や茶箱は何年もの間古い資料を保管するのに最適だったと思われます。この三階で大福帳、仕切帳を見せてもらいました。大福帳は今でいう売掛台帳、仕切帳は仕入帳だと思います。三階には顕微鏡を始め、黒船が来た時の資料やダチョウの卵の殻で造った陶器、膨大な数の書類が保存されておりました。
鳥居の向こうにお稲荷さんと石のお社(やしろ)様が並んでおりました。ここに来る前、石のお社(やしろ)様はどんな風になっているのか興味がありました。もしかしたら、大きな石が一つ転がっていてこれがお社(やしろ)様だよと言われるのではないかと思っていました。百聞は一見にしかずといいますがまさにその通りです。お社(やしろ)様はお社(やしろ)様らしく飾ってありました。
『木屋江戸資料館』には、古くからの物が大切に保存されております。これらの資料を伝え残していくのが私たちの役目と平然と渡邊さんご夫婦はおっしゃいました。しかし、この資料を保存し残していくのは並大抵の努力ではできません。昔からの伝統のある家として、頑張っている渡邊さんご夫婦に脱帽いたします。