3.五重の塔の跡
(清水歴史探訪より)
「そうですね、神仏習合の時代ですから。徳川家康公をお祀りする一番最初の東照宮ですけれども、徳川家康公は神様、その神様の大元はですね、仏様ということです。
御本殿の右側の方にですね、その大元であります本地仏(ほんじぶつ)の薬師如来さんをお祀りする薬師堂が右側の方にあったわけですね。まあ明治以降は、仏様はお見えになりませんけれども。
明治頃は薬師如来様の化身が東照大権現(とうしょうだいごんげん)様と、そういう考え方ですので、神様と仏様が一緒になっている時代がずっと続いたわけですね。」
「そしてその反対側を上っていきますと、左側の方なんですが、なんか石の舞台のような形になっていますけれども、こちらはなんでしょう?」
「ここはね、五重塔がね、あったところなんですね。三代将軍の家光公がここにですね、五重塔を建てたと言われております。
あ、五重塔もね、仏教的だということで明治の5年か6年にですね、オークションにかけて、2025円で売れたと聞いております。
けれども、買った人はですね、全部部品をばらして、売ったみたいだそうです。」
「では、ばらばらにされてしまったんですか。」
「ええ、どこかに建っていればよかったんですけれども、全然ないということで。まあ中の構造をですね、写し取った指図(さしず:見取図)という図面は残っているみたいですけれども。ですから、復元しようと思えばできないことはないと。
ちょうどこの右側の方の鼓楼がありますけれども、この鼓楼が屋根が一つしかありませんが、この五階建てがここにね、あったと思って想像していただければね、大体想像できると思いますけどね。
写真もありますけども。五重塔があった時代のね。明治の初期の写真があることはあるんですが、やはり立派な物ですよね。」
明治時代になるまで威容を誇った五重塔は、今もその礎石(そせき)が神と仏が共に鎮座した名残を伝えています。