4.藩主書院建物を訪ねて
小島陣屋書院は小島領領主の居宅として使われていました。その後廃藩置県で小学校の職員室兼校長室となり、その後、地域の公会堂、青年団の夜警詰所などに使用されました。
歴史を物語る栄光ある建物は、小島歴史資料館として活用される直前には、ほぼ物置に近い状態で使用されていたようです。
普段は鍵がかかっているようで、今回は特別に鍵を開けてもらい中を見せて頂きました。なお、私どもの案内人は引き続き久保田さんです。
(清水歴史探訪より)
陣屋の中心だった書院は、国道52号線沿いに移築され、市の有形文化財として、また陣屋の資料館として、築百数十年を超えて現役です。『小島町文化財を守る会』の、深澤進さんに伺います。
写真は、小島陣屋(藩主)書院の説明看板
そして、私達が立っているこの場所なんですけれども、この梁(はり)を境に、左右に分かれておりまして。10畳、10畳になっているんですけれど、家臣、家老、殿様がここへ集まりまして、会議等を行った所でございます。
天井の高さがこの十畳の上が高くなっておりまして、こちらはちょっと低くなっておるんですけれど。」
「そうですね、数十センチ、高さの差があるようですね。」
「これはなぜかというと、こちらは畳廊下になっておりまして、高い所は位の高い方々が座った場所です。
そしてこちらの畳廊下になっている所が(位が)低い方が。身分の差でこうやって分けていたわけですね。
同じ会議をやるにも。あの欄間にありますあの透かし彫りなんですけれども、蔦家紋(つたかもん)と言いまして、家紋が裏家紋と二つあるんですよね。小島の陣跡のお殿様に丸の大の字と、あとこの蔦(つた)の紋ですよね。あの欄間の透かし彫りになっているのが、小島のお殿様の紋です。
この書院の方を簡単に説明します。一応十畳間になっておりまして、床の間と、違い棚があるんですけれども。板を見ますと、全部これ一枚板でできておりまして、一万石と言いまして非常に小さな藩なんですが、今では使うことのできないような材料をこうして使っていますね。
あとこの床の間の框(かまち)なんですけども。これは『布着せ』という技法で作られておりまして、布を張り合わせてその上に漆を塗っていくんです。何回か塗っていくらしいですけれども、塗り重ねていって、最後は砥ぎだす方法らしいんですが、出来た当時はこれは黒光りしていて、たいそう立派な床の間だったと思われます。」
「今も木の表面にその塗り重ねた物が若干残っているんですね。」
「そうですね。この辺がその跡になります。」
「床の間の所に今、二幅下がっていますが?」
「これはあの第五代の松平丹後守(たんごのかみ)、信圭(のぶかど)さんという方が書いた掛け軸だそうです。右側の字が松ですね。左側の字が声(こえ)っていう字だそうです(注)。殿様の書いた掛け軸でございます。」
(注)向って右軸の文字(木・公)は「松」の異体字。「松声」とは、松の木に風が吹いて鳴る音で高雅な風情を意味する。
「ここへ移築されてから、この建物はどのように利用されていたのですか?」
「これは小島地区の公会堂として長い間使われてきました。あとは青年なんかの集会場として使っておりました。明治維新以降は包蒙舎の校長(小学校の前身)住宅として使われておりまして、多少は改装されているんですけれども、ほぼ原形のまま使われていたわけですから、良い状態で保たれております。」