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2.小島陣屋跡を訪ねて
住宅地の間を抜けて小島陣屋跡へ
『打ち込み接ぎ』と言われる石垣:加工した石材を使用。
通り道から見た陣屋跡。
陣屋跡の石垣の周りは住宅地です。
 (清水歴史探訪より)
「『酒瓶神社(さかべじんじゃ)』を出まして、細い道を入って行きますが、こちらの方が陣屋の方角ということになりますか?」
「そうです、陣屋の正門の方ですね。大手門に近い方です。そしてここを通りながら行きますと、馬場だった所の石垣が見えてきます。」
「ちょうど住宅地の間を抜けていくような形になってますが、奥の斜面の所、石垣がありますね。」
「これがね、石垣の積み方が切り込みが入っていて、きちっと組み合う様に石を切って、そしてはめ込んである石垣になっているんですよ。
 ちょっと見ると、よくわかります。あれが元々の石垣ではないってことですね」 
「長さはどれくらいありますかね」
「大体2メートルくらいありますかね。」
「このあたり、馬の嘶(いなな)きが聞こえたんですかねぇ」 
 
 
写真は、陣屋馬場跡
小島陣屋の配置図です。
「表門の方へ行きます。」
「ここから舗装が途切れて、こっちの斜面を登っていくような道になりますけれども。」
「こちらの左側にですね、沢がありますけれども、これが堀に代わるものです。そして、自然の地形を上手く使って、造ったということがありますね。
 それから石垣がですね、ちょうどたくさん使ってあります。この辺も全部、間(あいだ)から見ますと、『切り込み接(は)ぎ』の石垣がずっとあります。
 宝永元年(1704年)の時に造ったんですけれども、非常に短期間、六カ月で造ってしまったということで私達もびっくりしましたけどね。
 
 
写真は、切り込み接ぎの石垣:切り石だけを使った石垣。(江戸時代)
 左側に見える石垣ですね、これがコグチ、虎の口って書くんですが、虎口(こぐち)の石垣です。
 これちょっと面白いのが丸い石なんですよ。石を石工さんがただ積むだけじゃ面白くないと、そこで丸い物を作ってはめ込んだと。そういうようなことを言ってました」
「遊び心があるんですね。」
 
写真は、石工さんの遊びの丸い石。
「そうです、それから右の方をご覧になって下さい」
「これは駿府城にあるような形の石垣が…」
「これがね、初めの頃、ここは木が茫々(ぼうぼう)としていまして、全然わからなかったんですね。藤枝のある先生が、このままじゃ石が壊れちゃうからと言ったのです。
 そこで、元の自治会長さん達が来て綺麗にしたんですね。それからここへ皆さんが注目するようになりまして、『文化財を守る会』というのを設立したわけです。
 写真は、駿府城にあるような形の石垣
 ここを東側のところにずっと斜めになってるところがありますけれど、話によりますとここを殿様が上ったと。そしてそこに大手門があったと。そういうような話は文化財の調査の方が言ってましたが。」
「ではお殿様専用の別の口があったかもしれないと。」
 
 
写真は、お殿様専用の入り口?門は後造
「そして虎口(こぐち)の方を通った所はいわゆる雑兵が歩いて周ったと。そういうような話を聞いております。それから、今歩いているここですね。
 虎口(こぐち)の手前の所ですが、ここは発掘調査をした時は、石畳が真ん中に三列ほどありまして、この虎口(こぐち)の入口の所に階段がありました。」
 
 
写真は、桝形虎口。
「ちょうどここが幅が3メートルぐらいでしょうか。直角、直角に鍵型に曲がっておりますので」
「いわゆる虎口といいますね」
「敵が攻めて来られにくいようになっているわけですね。」
 
 
写真は、桝形虎口、手前右にお殿様用の通路?
「はい。西の方に向かって、いろいろ畑がありますけれども、ここに全部『切り込み接(は)ぎ』の石垣がずっと一段二段三段と、並んでおります。」
「あ、所々見えてますね、石垣が。これもこの城の防御施設の重要な点だったわけですね。」
「今お城と言いましたけども、元々私どももお城と言っておりました。最近は陣屋と言えるようになりましたけれども、お城お城と言ってます。」
「でもまさに駿府城の石垣を思わせるような積まれ方をしてますよね。」
 石の積み方が、年代によって違うそうです。
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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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