4.松榧園(しょうひえん)に案内されて
(清水歴史探訪より)
「美術館の前を水路が通っています。由比川の上流から引いてきた水がここを通ってい るんです。これが池とこちらの方へ通じて混ざって水源になっているわけです。」
「では由比川からずっとつながってここまできているというわけですね」
「はい、今小さい黒松が美術館の前にありますが、これが県指定の松になったのですが、当時は徳川家康のお手植えの松がありました。
昭和55年に枯死してしまいました。直径が3メートルの樹高が5メートル、東西の 枝ぶり 27メートルという立派な松があったんです。
写真は、徳川家康お手植えの松の子孫。
それで、次に榧(かや)の木ですが、本家の本元の榧は落雷で倒れてしまいました。それでその子供がこれだけ大きくなっているんですね。これは馬繋ぎの榧(かや)ということで、馬を繋いだ榧ということで、今そこに神社がありますが、榧守(かやもり)神社という名前がついております。」
「榧(かや)を守るという意味で。」
写真は、榧(かや)と榧守神社。
「そうです。そしてここに遠州の回遊式庭園が『御幸亭(みゆきてい)』の裏に造られているわけですが、これらを全部総称して、ここの園を山岡鉄舟が立派な園だ、ということで松と榧の園ということで、松榧園(しょうひえん) と命名しているんですよ。
そして一番この池で説明したいのは、あれが君が代に出てくる細石(さざれいし)です。あの池の中島の亀の格好をした。細石というのは、小さい石が何年かのうちに一つの塊になったのです。
日本の国も皆さん一人一人が手を組まなければ繁栄しないんだということを、表しているんだと思います。これは私の自論ですが。」
写真は、細石(さざれいし)