2.由比本陣の入り口にて
(清水歴史探訪より)
「さて、だんだん歩いて広重美術館の前にやってきました。今ここは美術館なんですが…。」
「本陣公園。本陣さんです。由比本陣と言いましてね。ここはもう歴史は江戸時代よりもっと古く、『岩辺御右衛門(いわなべごうえもん)』という襲名をしていまして、ずっと16代まできたのですが、17代目が明治の時代に入りましたので姓が自由に変えられたもので、『由比習治(ゆいしゅうじ)』 という名前にしたんですよ。
そして平成元年に町会議会でも色々と検討した結果、本陣の跡を買い求めて、何か町興しをしよう、ということでこれが出来たわけです。美術館はそれから6年遅れて『広重美術館』と命名して美術館を造ったわけです。」
(清水歴史探訪より)
「この本陣なんですけれども、普通の本陣とちょっと違う特徴があったそうですが」
「違いますね。宿(しゅく)は小さいですが、本陣そのもの、一軒の本陣としては、どこにも引けを取らない大きさでございます。間口は33間、奥行きを入れて、1300坪の土地になっております。本陣の母屋は、この芝生の上にあったんですね。」
「今公園に整備されていて芝生が四角くなってますけれども、これが建物の」
「これが176坪で、ここに建物があったんです。美術館の所には四連の土蔵がありまして53宿にはここ一軒しかない、馬の水飲み場。参勤交代が通った時に、ここへお泊りになる馬を洗って、馬に水を飲ませたお堀でございますね。」
「ちょうどここから本陣の門という形になっているというわけなんですが、今立派な門がありますが、これは当時の形なのでしょうか?」
「当時の形です。そのまま復元しています。その塀とこれが外から中が見えないように。中から外が見えない遮蔽式(しゃへいしき)本陣とも言われております。この塀の名前で。この塀の下に据えてある石組ですね。石垣がこれが特徴のある「扇形(おうぎがた)石積み本陣」とも言われております。」
「扇形と言いますと、防波堤のような感じで。上の所が反り返っているという。」
「そうです、それでこの石積みというのが目地をちゃんと組んでありますので、草が生えないというような特徴があります。」
「石垣の石の間の隙間がないんですね。あまりに綺麗に合わさっているので、最近造ったものだと思ったのですが、これは昔から?」
「これは昔からあって、平成元年に積み替えたんですが、全部番号を打って。外して、それからまた積んだんです。昔のものと同じように。 由比川の石 が非常に質がいいということで、なんといっても苔も生えないと言われておりまして、当時、桜の有名な高遠(たかとう)から、また山梨の甲州から石工(いしく)が全部ここに集まっているのです。石工の傑作でございますね。」