1.塩の道について
(清水歴史探訪より)
蒲原、由比、興津、そして江尻から府中へ
清水歴史探訪
毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
今回の目的地は、由比の宿場。大名行列が足を休めた本陣の跡を訪ねます。
地元でボランティアのふるさと案内人として活動している望月一成(もちづきいっせい)さんに、お会いしました。
「ここはどちらかというと、由比というところは昔から塩作りが盛んでした。それでその 塩を信州の塩尻まで運んだんです。
由比本陣公園の専用駐車場に車を停めて、『由比本陣公園』に案内人の望月一成(いっせい)さんを訪ねました。望月一成さんは、最初に『塩の道』について説明してくれました。『塩の道』は、三つあったそうです。最初の『塩の道』が由比の『塩の道』、次の『塩の道』が興津の『塩の道』、そして最後は富士川の川を使った『塩の道』だそうであります。早速、『塩の道』に案内していただきました。
『塩の道』は、幅が一メートルぐらいしかなく、説明されなければ単なる路地と思うような狭い道でした。この『塩の道』が、昔々信州の塩尻まで繋がっていたと思うと、単なる路地から歴史の道へと変化してしまうから不思議なものです。
(清水歴史探訪より)
今のこの本陣が、由比宿のど真ん中ですね。あと300メートル行くと由比宿の入口になります。西と東の入口になりますね。」
「この由比宿というのは、比較的このように小さいですかね?」
「小さいですね。ほんとに53宿ある中の小さい方から2番目です。ここがその道です」
「今、路地と言いますか、幅2メートルぐらいの狭い道がありますけれども。ちょうどここが東海道から直角に山の方へ向かって。」
「そして山のむねむねを通って信州の塩尻まで。馬に積んでいきましたので。当時はこの家はなかったんですね。ほんとにちょうど海岸からの一本道ですね。これが、海岸までつながっています。」
「ちょうど東海道を渡って、海の方まで。」
「明治22年までは東海道はありませんでしたね。JRの線路はなかったですから。すぐ海ですから。」
「ではそこで塩を作って積んで信州まで山を越えて…行った道ということなんですね。」
駿河湾の海水から生まれた塩を遠く信州まで運んだ塩の道が、東西交通の東海道と交わる由比。小さいながら、ここは日本の物流の交差点でもあったのです。
『塩の道』を案内された後、由比本陣公園の向かいにある家の建物の造りについて説明して頂きました。
『せがい造り』という建物の造りだそうです。説明してくれたことがちょうどパンフレットに載っておりましたので、そのまま移させて頂きます。
「家の軒先を長くすると強い風雨や陽射しを遮る効果と格式のある美しい景観を生み出します。
せがい造りとは、軒先を長く出すために、平軒桁へ腕木を付け足して出桁とし棰(たるぎ)を置いたもの。由比町の町並みに多く見られます」
次に由比正雪の実家と言われている『正雪紺屋』を案内して頂きました。正雪の生まれた所は、三つほど説があるそうですが、この『正雪紺屋』が最も有力な正雪の生まれた実家だそうです。私個人としても、正雪は由比で生まれたと思いたいです。